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「スカーレット」脚本家・水橋文美江が「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決意するまで

脚本家・水橋文美江さんインタビュー #3

2020/03/28
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 NHK連続テレビ小説「スカーレット」のなかで生きた、陶芸家・川原喜美子。「男社会」で仕事を持つ1人の女性が抱えた人生の困難さをも見事に見つめた作品だったからこそ、大きな共感を呼んでいる。物語の軸は、喜美子の息子・武志の白血病との闘病へと移り、最終回を迎える。脚本家の水橋文美江さんが「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と心に決めるまでの軌跡を伺った。(全3回の3回目。#1#2へ)

水橋文美江さん

「大切な友人を放送前に亡くしました」

――脚本執筆のため、大阪に長期間滞在されたのは、たいへん親しいご友人がお亡くなりになったことが背景にあると伺いました。期間限定で公開されている水橋さんのインスタグラムに、「大切な友人を放送前に亡くしました。人っていつまでもそこにいないんだな。記憶もいつまでもそこにないんだな」と書かれていますが、大切な友人とはその方のことでしょうか。

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水橋 そうです。家族ぐるみでとても仲の良かった方で、ちょうど去年の7月に亡くなりました。すい臓がんで、がんが見つかって1年もありませんでした。いつも朝ドラを観ている人だったので、私が「スカーレット」の脚本を担当することを報告したら「うん、観るよ」と言ってくれていたんですけど、だんだんとそういう言葉も返ってこなくなって。いつもこのリビングで、その方も一緒にみんなで飲んでいたんですよ。私は家で仕事をするので思い出してしまう。そういう理由もあって、思い切って大阪で書きました。

――場所を移したことで、心境に変化はありましたか。

水橋 近くに住んでいた方なので、家から出て近所を歩いていても思い出がいっぱい蘇ってくるんです。でも泣いている場合じゃないし、わりとメンタルが影響してくる仕事だから、これまでの日常生活はいったん東京に置いておこうと。最初の頃は関西のお笑い芸人の漫才やコントを1日中流しっぱなしにしました。ジャルジャルのネタのタネとか。「脚本家って言えへん奴」っていうのがあって(笑)。それで関西弁を身につけたりして、大阪にいる間は関西弁になってました。明るくなれたと思います。

水橋さんのノートパソコンは、親指シフトキーボード。

――劇中では喜美子(戸田恵梨香)の父・常治(北村一輝)がすい臓がん、喜美子と八郎(松下洸平)の息子・武志(伊藤健太郎)が慢性骨髄性白血病を患います。実生活で大切な方を病気で亡くされるような辛い経験をすると、脚本の世界になにかしら反映されるものでしょうか。

水橋 それは、あると思います。私は母をがんで亡くしています。それとうちには武志と同じ年齢の23歳になる息子がいるんですけど、息子が小さい頃、すごく大きな病気をしたことがあって。いまはすっかり元気ですけど、それこそ生死の境をさまようような状態だったんです。この2つの出来事には、「スカーレット」だけでなく脚本を書くうえで大きな影響を受けています。友人が亡くなったことも、武志の病気を描くうえで何度も考えました。

「スカーレット」の台本。第24週、第25週のものを見せていただいた。