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「スカーレット」脚本家・水橋文美江が「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決意するまで

脚本家・水橋文美江さんインタビュー #3

2020/03/28
note

「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」

水橋 「スカーレット」は陶芸家、神山清子先生の作品をお借りし、喜美子の作品とうたっています。神山先生の息子さんは白血病で亡くなっているのですね。先生の作品には息子さんへの深い思いが込められている。独自の作風で、見るものを惹きつける。息子さんの存在抜きには語れない。やはりそこを敬意をもって描こうと。ものづくりの話でもありますし、作品に人生が込められていくところをきちんとやろうと。

 もちろん朝ドラで病気を取り上げることについては、よく話し合いました。でも、病気ものはよくないというような判断をすることは、まるで病気したことが悪いことのように決めつけてしまうような感じがしたんですね。「かわいそうな話を朝からやるのはどうなの?」と考えること自体がおかしくないか、そうやって避けていると、友人が亡くなったことも否定してフタをしてしまうような気がしたんです。だったら、「書こう。死を扱おう」と腹を括りました。そして、「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決めました。賛否両論は覚悟の上です。

 

喜美子の本心「1人もええなあ」

――「スカーレット」は「同業者夫婦」の嫉妬、衝突、すれ違いが大きなテーマでもありましたが、女性がやりたい仕事を突き詰めること、自由になれない困難さを深く見つめてもいると思います。喜美子が八郎の反対を押し切って3回目の窯焚きの準備を始めると、あきれた八郎が武志を連れて家を出て行く。その後に喜美子は「1人もええなあ」と小さく言いますよね(100話、1月30日放送)。寂しさをごまかすと同時に八郎や常治という“男の圧”から放たれた本心の言葉にも感じられました。水橋さんご自身の思いが投影されているところはありますか?

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水橋 ありますね。女性って、子供を産んだ瞬間に1人じゃなくなると思うんです。仕事のために保育園に預けようが自分の母親に預けようが、そばにいなくても、常に子供はいるんです。産んだからには一生、1人になることはないんですよ、感覚的に。絶対的に、もう1人じゃないんですよね。子供の人生を背負っている。「1人もええなあ」と喜美子がつぶやいたシーンは、幼なじみの照子(大島優子)が武志を預かっていて、穴窯のための薪を拾いにいく時に感じた思いですけど、あれは「1人もええなあ」って言ってますけど、リアルにいうと1人じゃないんですよ。でも「1人もええなあ」と心底感じた一瞬があって、それが気持ち良かったと思ってしまった、同じ母親の照子にはそう言えたんですね。

ご自宅のリビングで、お話を伺った。

――そうした女性を取り巻く環境を反映させたもうひとつの印象的なセリフが「男やったらよかった」。それぞれ違いはありますが、喜美子も弟子の三津(黒島結菜)も言いますね。

水橋 まだ女性陶芸家が認められていない時代だというのも含めて、どうしてもなにかをやっていく時に「男と女」ということが妨げになってしまう。時代が大きいかなと思いますね。自立して働いていく女性というのが、この後から出てくる感じで、1960年代終わり頃はすごく難しかったと思うんです。特に三津は男だったら八郎のことも好きにならないし、もっと陶芸に打ち込めた。そこが三津の弱さだったわけでもあるんですけど。