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「スカーレット」脚本家・水橋文美江が「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決意するまで

脚本家・水橋文美江さんインタビュー #3

2020/03/28
note

「女流陶芸家」、「女性脚本家」というスポットの当たり方

――そういえば、八郎と夫婦そろって取材を受けても新聞記事に喜美子の名前が載っていなかったシーンがありました。喜美子が穴窯で成功して注目されてからも「女流陶芸家の草分け」というスポットの当たり方は続いたような気がします。

水橋 私たちは若い頃、みんな“女性脚本家”と言われました。90年代、雑誌で「女性脚本家」みたいな特集がよく組まれて。当時、若い女性脚本家というのは少なかったので、グラビアページで紹介されたり。その際には必ずかわいい感じで撮られた写真が載るんですよね。私はそれが嫌で嫌で……。

 

――自分の意志とは違う形で、丸熊陶業のマスコットガール「ミッコー」にされてしまう喜美子のようですね。

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水橋 そうですね。若い女性脚本家というだけで取材を受けていてタレント扱いされているような感じがして居心地が悪かったですね。それよりも私は、作品を見てもらうほうが嬉しいというタイプだったので。

――当時は「そういう見られ方は嫌なんです」と言える空気ではなかったですか。

水橋 嫌だけどその理由まではっきりと自分で言語化出来なかった。あと、その頃は雑誌に載ることが親孝行だと思っていました。実家は石川県の金沢なんですが、当時は「脚本家」の仕事がうまく伝わらないようなところがあったんで、掲載された雑誌を母に見せると「あら、がんばっとるね」って。だから、私は母が亡くなった時に「ああ、これでファッション雑誌の取材を断れる(笑)。これで写真撮影はすべて断れる……」と思いました。

 

――キャリアを積まれてきた現在では、あまり「女性」や「女流」でカテゴライズされにくくなってきたと思われますか。

水橋 どうですかね。ドラマだってまだまだ男社会ですよね。やっぱり女性というだけでよくも悪くも注目されることはあるんじゃないかな。「スカーレット」も、脚本家の私、プロデューサーの内田ゆきさん、演出の中島由貴さんの3人が女性だというくくり方もされますし、根強く残っているものはあると思います。