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「桜蔭的」「JG的」「雙葉的」な「何か」を身につける

 それにしても、「女子御三家」である。

 何と言い得て妙な表現だろうかとわたしは思う。

「御三家」とは「徳川御三家」、すなわち、徳川家康の直系である「尾張徳川家」「紀州徳川家」「水戸徳川家」をそもそも指すことばだ。

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 わたしがここで言いたいのは、「御三家」は他者がどんなに欲しようが手に入れることの決してできない由緒あるルーツを有していることだ。そして、周囲の人たちから羨望の眼差しを注がれる対象であり、ときに畏敬の念さえ起こさせる対象となる。

 そういう意味で、桜蔭・JG・雙葉は紛れもなく「御三家」である。

女子学院は明治3年(1870年)に設立された

 始祖、つまり、各校の設立者の思いが脈々と受け継がれていまに至っている。各校とも時代の変化に対して決して揺るぐことのない独自の、不変の教育文化がある。そして、その教育環境の中で育った生徒たちはそれぞれ「桜蔭的」「JG的」「雙葉的」な「何か」を身につける。

「バトン」を在校生たちが引き継ぐ

「先輩に恋する」話を書いたが、いまの下級生が憧れているその先輩もまた自身が下級生のときは先輩に恋焦がれていたのだろう。その人間模様がリレーのバトンのように受け継がれていく。そして、それはその学校独自の文化を担保するものになるとわたしは睨んでいる。

 何層にも渡る数多の卒業生たちが緩やかに育んできたその学校の気風や部活動、行事などの「バトン」を在校生たちが引き継ぎ、そのバトンを手に中高生活を駆け抜けていく。そして、そのバトンを次世代の(これから入学する)子どもたちに手渡していく……。

 その営みが何年、何十年、(学校によっては)何百年も繰り返されて現在の学校の文化が存在している……わたしはそう考える。

 こう考えると、女子御三家各校のバトンは実に味のある色調になっているのだろう。

 それでは、桜蔭・JG・雙葉はそれぞれどのような色調なのか。ぜひ拙著『女子御三家 桜蔭・女子学院・雙葉の秘密』を手に取ってくださったら幸いである。