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21歳で渡仏するも、そこで待っていたのは……

 その後、小林氏は、東京で2年弱、厳しい修業を積んだ上で渡仏するが、フランス現地でも、その“破格の行動力”で“新たなステージ”への道をみずから切り拓いていった。

〈1998年12月、21歳でフランスに来ました。その冬は、氷点下10度とか15度を記録するほど、とにかく寒かった。

 ところが、いきなり立ち往生です。雇ってもらうはずのレストランに話がうまく伝わっておらず、何十軒回っても雇ってくれるところはなく、生活費も尽きて、いったん帰国しました。

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 しかし諦めませんでした。1カ月後、すぐに再渡仏し、南部ラングドック・ルーションの「オーベルジュ・デュ・ヴュー・ピュイ」というレストランで働けることになったんです。ジル・グジョン氏がシェフを務める一つ星の店(現在、3つ星)で肉部門の責任者になりました〉

小林圭氏

一人の師匠がいるわけではない

 その後も、「フランス料理は地方料理の集合体。だから、地方を見ないとフランス料理は分からない」、そして「料理人という職人の世界では、『言葉』よりも『行動』。厨房にさえ入れば何とかなる」という信念のもと、プロヴァンス地方、アルザス地方の星付きレストランで、さらに研鑽を積み、いよいよ本場パリで、仏料理界の巨匠、アラン・デュカス氏の3つ星レストランに入り、シェフの下の「セカンド」を務めることになる。

〈「自分の歴史」が「わが師匠」です。自分が歩んできたすべてのことに意味があって、だから今の料理があり、今の自分がある。だから、一人の師匠がいるわけではない。しかし、デュカス氏の下で仕事ができたのは、自分にとって素晴らしい財産です〉

出典:「文藝春秋」4月号

 小林氏がみずからの半生を振り返った「15歳の僕が仏3つ星シェフになるまで」の全文は、「文藝春秋」4月号および「文藝春秋 電子版」に掲載されている。

※「文藝春秋」編集部は、ツイッターで記事の配信・情報発信を行っています。@gekkan_bunshun のフォローをお願いします。

文藝春秋

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15歳の僕が仏三つ星シェフになるまで