「病気が発覚したあと、志村さんが『身体が資本だから、体力をつけた方がいいよ、みんなでおいしいウナギを食べに行こう』と連れて行ってくださったんです。その後も、北海道に行けば『生ジンギスカンがおいしくて身体にいいから食べに行こう』と誘ってくださった。実は私はウナギが食べられなかったのですが、そうやってみんなでご飯を食べているうちに、苦手だったものも食べられるようになりました。お酒の種類や飲み方も教えてもらいました」
麻美ゆまが見た志村の流した涙
毎年行われる「志村魂」の舞台を重ねるごとに、親交が深まっていったという麻美と志村。麻美には、目に焼き付いて忘れられない志村の姿があるという。
「2016年に志村さんが肺炎を患ったとき、『志村魂』は初めての大阪公演中でした。みんな例年以上に気合いが入っていて、志村さんもとても楽しみにされていました。私たちは後から知ったのですが、志村さんは入院直前の最後の最後まで、舞台に立とうとされていました。でもドクターストップがかかってしまって……。
中止にあたって、志村さんがご事情を話してくださったのですが、振り絞るように『本当に申し訳ない』と涙を流していらっしゃったんです。あの悔しそうなお姿が、いまでも忘れられません」
志村コントの根幹にあるもの
志村は常々「舞台はひとりじゃ作れない、チームワークで作るものなんだ」と熱く語っていたという。その仕事への姿勢からは人間に対する深い愛情が垣間見える。
「志村さんから一度、『コントであれ、舞台であれ、自分の作る作品のなかでは家族愛を大切にしているんだ』とお聞きしたことがありました。人と人の間にある哀愁や、家族への愛情をセリフや物語に込めていると。思い返してみれば、志村さんの作るお芝居の内容もそうですし、志村さんご自身が稽古場で見せる姿も、愛情に溢れているんですよ。
例えば、志村さんが台本に無いことをやられてみたり、スタッフさんや共演者さんを楽しませくれるとても贅沢な日々でした。
あんなに凄い人なのに、わざとすごーく静かにみんながいる楽屋に入ってこられて、後から気づいたみんながびっくりなんてこともありましたし(笑)。本番中でも、志村さんが共演者にしかわからないいたずらやアドリブを仕掛けてくる。志村さんの現場はいつも新鮮で楽しかった」