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82歳で死去・大林宣彦監督「がんになって初めて“優しくすること”を学びました」

映画監督・大林宣彦が語る「理想の死のかたち」#2

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マッカーサーの占領政策は“敗戦”を忘れさせた

 米国に負けたことを日本人が覚えていれば、将来、米国を憎むようになる。そう考えたマッカーサーの占領政策は、日本人の大人には敗戦を忘れさせ、子供には、戦争などなかったことにする、というものでした。日本人は、米国に負けたことをきちんと教えられなかったと、今も思っています。

 今の若い人も、写真を撮る時にピース・サインをします。あれは、戦争に勝った国が勝利を誇示するブイ・サインであり、本来は平和を意味するピース・サインではありません。なのに、負けた国の若者が、何も疑わず、ピース・サインをしている。

 この国の民は、戦争について教えられず、何も知らないんじゃないか。そう思うからこそ、僕は映画を撮るんです。

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 そして、文章は理解するものだとすれば、映像は感じるもの。戦争を「理解する」より、戦争は嫌だと「感じて」欲しい。だから僕の映画は「反戦」ではなく、「厭戦」なのです。

©山元茂樹/文藝春秋

がんになって虫1匹殺せなくなった理由

 新作は、3人の若者が、幕末や太平洋戦争にタイムスリップする『海辺の映画館―キネマの玉手箱』。20年振りに故郷の尾道で撮影した。

 僕は、がんで余命宣告された時から、虫一匹殺さなくなりました。

 ふと見ると、左腕に蚊がとまっていたことがありました。その蚊を見た時、何十万、何百万という蚊がこの宇宙にはいて、何十万、何百万人と人間がいる中、俺とお前は今が一期一会だなと思ったんです。僕はがん患者だから血は美味しくないかもしれないけれど、一所懸命吸って、元気で暮らしてくれって。虫だけではなく、歩いていて、草も踏めなくなりました。葉一枚を千切ることもなくなった。みんな同じ命です。

 体の中のがんにも言っています。ここに住み着いたからには、面倒を見てやる。だけど血を吸い尽くして、筋肉を食い尽くして僕が死ねば、お前も死ぬぞ、少しは我慢を学びなさいって。

 同時に、僕自身がこの宇宙にとってがんだったということにも気付きました。

 思いのままに好きなものを食べ、ジェット機に乗って外国へ行く。僕がジェット機に乗らなければ、地球の温暖化が少しは止まるだろうに。そのぶんだけ地球は長生きできる。