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コロナで「防疫の名を借りた道徳の押し売り」が蔓延する理由

戦前の防疫と「教育勅語」の関係とは?

2020/04/20
note

音楽を使った「思想の刷り込み」

 そのため、2番以下は具体的な内容に入っていく。

 いわく、「よるは八時にねまに入り 朝は七時にとこをいで よく口すすぎ眼を洗ひ」「余りに熱き湯茶のむな 氷の如きも亦(また)わろし」「衣服は軽きを旨として 襟巻などをすべからず」「ゆらぐ車の上にして 新聞見るな本読むな」……。

 詩情の欠片もない歌詞だが、最後の5番はこう締めくくられる。

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疱瘡(ぼうそう)はやらば種痘せよ
はやらずとても怠らず 六年目には試みよ
病ある日は心せよ 病なき身はきたふべし
強壮偉大の魁(かい)男子 健康艶美の真婦人
互ひに力を尽しなば 御国は万歳 万々歳

コレラのワクチンを接種する様子(1937年)  ©︎getty

 作詞者で医学者の三島は、「毎日怠らず之を歌ふときは、児童をして、自然衛生の道を実行するに到らしめ、併せて其徳性を涵養するに足らん」と書いている。

「蛍の光」にかつて「ひとつに尽くせ国のため」という歌詞があったように、明治期の唱歌は音楽を使って、さまざまな思想をこどもに刷り込もうとした。「衛生唱歌」も、その例に漏れるものではなかった。

©iStock.com

174番まである「衛生唱歌」も

 国立国会図書館の「デジタルコレクション」をみると、「衛生唱歌」は以上のほかにも、あと2つも出版されていることがわかる。日清戦争の帰還兵が中国大陸よりコレラを持ち込んだことも、無縁ではなかっただろう。

 そのひとつ、草山斌男作詞、島村吉門作曲の「衛生唱歌」(1902年)は、なんと174番まである。これがまたじつに退屈な歌詞で、「余計なお世話」の無間地獄になっている。

万病の母と嫌はるゝ 感冒(かぜ)の起因は皆皮膚の
不摂養より来るなり 油断ななしぞ皮膚とても(100番)

※引用者註、「なしぞ」は「なしそ」の誤植か。

 これはまだわからなくはないが、つぎなど思わず「うるさい」と言いたくなってくる。

生姜わさびの少量は 食気を進め胃と腸の
消化助くる効あれど 過ぎなば病求むらん(28番)

枕低きは厭ふべし 堅きも避けよ汚れしも
空気枕は結構よ 其れについでは水枕(143番)

 読んでいると、まるで拷問。作詞者は、タバコや酒も「白痴(ばか)に成り下ぐる」「万の毒の長」だの言いたい放題なのだが、こんなものを歌わされたほうが遥かに健康を損ないそうだ。