1ページ目から読む
3/3ページ目
防疫の名を借りた道徳の押し売りにご用心
では、最後の「衛生唱歌」(糸左近作詞、小山本元子作曲。1908年)はどうだろうか。さきほどよりはマシなものの、こちらもやはり長く、50番まである。そして相変わらず、歌詞は無味乾燥を極める。
◇
吸へよ吸へ吸へ善き空気 食へや食へ滋養物
空気無ければ身は活きず 食物断たば身は死なん(12番)
◇
空気や食物が無ければ死ぬ。そりゃそうだろう。こんな代物を歌わされていたこどもに心より同情する。
たしかに、伝染病の危険性を伝える部分は、なるほどと思うところもないではない。
◇
赤痢や虎列剌(これら)腸窒扶斯(ちふす) うつり病のはやる折
政府の規則法律を 守れ我が為め人の為め(43番)
素人療治売薬は 病を重くするもあり
餅は餅屋といふことは こゝにも適ふ諺よ(45番)
◇
とはいえ、行き着くところは最初の「衛生唱歌」と同じだった。
◇
今より強く身を鍛へ 御国の為に尽せよや
一旦緩急あらん時 義勇公に奉ずべし(50番)
◇
ここでアッと気づくひともいるだろう。「一旦緩急アラハ義勇公ニ奉シ」。そう、これは「教育勅語」の徳目のひとつだ。やはり戦前の防疫は、「教育勅語」と深く関係していたのである。
いつの時代も、科学と非科学は背中合わせ。滑稽な「衛生唱歌」を前例とし、防疫の名を借りた、道徳の押し売りにはくれぐれも用心したい。