乗客も声をかけてくる。
「ダイジョービ?」
日本語だ。
「大丈夫」
叫びかえす。
通じたもので、ニコニコしている。
ぼくから、セーラーに質問してみる。
「ホエア・ドゥー・ユー・ゴー?」(どこへいくんだ?)
「パナマ」
パナマ経由でニューヨークに帰るらしい。
しかし、それより、現在位置が知りたい。なんと聞いたらいいのか、見当がつかないので、しかたなしにデタラメで、
「ハウ・マッチ・ポイント・ヒア?」
そしたら、いっぺんでわかってしまった。
「スリー・エイト・ポイント・フォー、ノース」
北緯38度40分だ。
「スリー・セブン・ポイント・トゥー・ファイブ、ニイシ」
37度25分。つまり、137度25分を略したのだろう。が、最後の「ニイシ」がつかめない。
「ニイシ。ニイシ」
と連発されて、やっと察しがついた。なんのことはない。「西」だ。日本語である。西経をいっている。念のため、航海日誌のとびらページに、メモをとる。
ぼくの計算とは、ちょっとちがう。大したことはないが、50マイルばかり予定より進んでいるようすだ。聞きちがったかと、もう一度、念をおす。
「サーティ・セブン・ポイント・トゥー・ファイブ?」
「ザッツ・ライト」(そうだ)
どうもおかしい。おかげで、これからあと、計算がややこしくなる。教えられたのと、自分で出したのと、この地点を示す2つの位置をベースにして、いちいち、2種類の数字を併用する方法を使った。
最後にわかったのだが、結果は、ぼくのほうが正しかった。本船の乗組員がミスするはずはない。ぼくの発音と耳のせいだったのだろう。
さて、あまり長くひきとめてはすまないと考えて、別れることにする。
「グッド・ラック!」
てんでに激励してくれる。なん人かはカメラをむけている。
「サンキュー・サンキュー」
こちらも負けずに、シャッターを切る。切りながら、日本語で、
「元気でね」
「ありがとう」
「ゴッツォハンデ」
いろいろと叫ぶ。どうせ通じっこない。しかし、こういわなくては気分が出ない。人間にむかって、日本語を話してみたかったのかな。別れしなに、中年婦人の客が、なにをおもったのか、だしぬけに尋ねた。
「ハブ・ユー・ザ・パスポート?」(旅券お持ちなの?)
ドキンとする。持ってないとはいえない。ここでつかまるなんて、まっぴらご免だ。あと、ほんのわずかじゃないか。聞きとれないふりをして、
「パードン?」
「パスポート、パスポート」
やけに念入りな発音で、たたみかける。実によくわかる。
「パードン?」
「パスポート、パスポート」
好意でいっていると承知していても、あまりうれしくはない。
「サンキュー。グッド・バイ」
いい加減にして、ヨットをまわす。なぜ、あんなことを聞いたのか。さっぱり想像がつかない。
〈7月26日(木)=第77日
日の出後3時間、凪いでいたのが、SEから順風。3ノットで快走しだす。朝食を食べはじめたら、パタンと風が落ちた。それでおしまい。まったくのヒヤカシだ。
そろそろ北が吹いてくれてもいいとおもう。落ちつかない。
が、夕方になって、北からの微風が吹いたり、やんだり。やけに気を持たせてくれるわい。モタモタしはじめてから、もう5日目だ。だいぶロスした。
水が少なくなってきた。飯たきの水がわりにビールを使ってみた。食べられないことはない。ビールなら、まだ4ダースある。以後、これでいくことにする。〉
飯ゴウに米を入れる。200ccの計量カップで、2杯とちょっとだ。2合半にあたる。1日ぶんである。
これをスターンから海につけて、水をすくう。太平洋の水は、清潔この上ない。タッタッと洗う。といだのへ、300cc入りのカンづめビールを、2本マイナス・アルファーだけ入れた。マイナス・アルファーのぶんは、小生ののどをくぐる。
飯ゴウにフタをして、コンロにかける。水で炊くのとおなじつもりでいたら、突如として大爆発をおこす。フタがポーンとふっ飛んで、泡がモコモコとこぼれだした。でも、飯にはシンも残っていなかった。味は感心しない。まあ、温いうちに食べれば……。
「うまい、うまい」
例によって、いいきかせながらパクついた。
このあと、いろいろと工夫する。ビールと海水が半々なら、いくらかマシだ。海水だけよりはずっといい。清水とビールだと、もっといける。ビールの水割りライスである。
(「太平洋横断ひとりぼっち」#3に続く)