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星野源との”コラボ”動画炎上 安倍首相のコンテンツ力を過信したのは誰?

2020/04/19

私たちは安倍首相の動画をどう解釈したのか

 最も標準的な解釈は画面の左右——つまり星野源と安倍首相——を対立構造で捉えるものだ。このような解釈はソ連の映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインの「衝突のモンタージュ」という発想に遡ることができる。

「衝突のモンタージュ」とは簡単に言えば、異なる二つの要素の衝突によって新たな意味や概念が生まれるというものである。例えば、以下の『戦艦ポチョムキン』(1925年)という映画のシーンでは、画面の上部に兵士たちが、画面の下部に彼らによって虐げられる市民が配置される。この二つの要素の衝突によって、映画全体のテーマである圧政に対する革命の正当性という観念が作り出されていくのである。

『戦艦ポチョムキン』(1925年)より

 

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 このような枠組みで安倍首相が公開した動画を解釈すると、為政者である安倍晋三が若く民衆に人気がある音楽家の星野源を利用していると見ることができる。

 実際に動画の中で、星野源が(彼にとっての)労働をしているのに対して安倍晋三が余暇を過ごしていること、安倍晋三がリモコンを星野源の側にむけていることなどがこのような解釈を強化する文脈となっている。この動画に対して、「自宅で待機することができない人もいるのに無神経である」という批判は、このような解釈に依拠している。

星野源との「協力関係」としての解釈は可能か

 しかし、この映像の中の二つの要素を対立としてではなく、融和的に解釈することも潜在的には可能である。例えば、ラブコメ映画の中で、別々の場所にいる親密なカップルが電話で会話をしているときに、二人の顔を分割画面で同時に表示することでこの二人の間の親密さを強調することもできる。

 安倍首相が公開した動画をコロナという危機に際した中での星野源と安倍首相の協力関係の表現として解釈することも原理的には可能であるし、実際に安倍晋三の支持者はそのように解釈したと考えられる。だが、この動画をそのように解釈するための文脈は非常に薄い。その理由は、小池百合子東京都知事とヒカキンのビデオ会談と比較すると分かりやすい。

「小池都知事にコロナのこと質問しまくってみた【ヒカキンTV】【新型コロナウイルス】」より


 小池都知事はYouTube上で、有名ユーチューバーのヒカキンからのコロナ対策についての質問に答えた。画面の構成という点では、左側にヒカキンが、右側に小池都知事が配され、安倍首相の動画と同じ画面構成である。だが、小池都知事とヒカキンの対談映像には安倍首相が投稿した動画のような大きな批判は起こっていない。なぜだろうか?