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 安倍首相の動画の中では、星野源だけが一人歌い安倍首相は部屋でくつろいでいるため、あたかも星野源が安倍首相に奉仕させられているように見える。このことが手がかりとして機能し、動画への批判を引き起こした。

 一方で、ヒカキンと小池都知事の質疑応答の様子は、両者が対等な立場で対話をしているように見える。もちろん、この動画の中の対等性という感覚はヒカキンと小池都知事の暗黙のうちの協力の結果である。だが、動画を見た人々がどのように受け止めるかという点では、実のところ実際の質疑応答の内容よりも、タレントからの質問に対等な立場で誠実に応答しているというパフォーマンスをして見せたことがポジティブに働いた。その意味で、小池都知事のメディア戦略は安倍首相のはるかに上を行っている。

「小池都知事にコロナのこと質問しまくってみた【ヒカキンTV】【新型コロナウイルス】」より

安倍首相のSNS戦略の特徴って?

 こうして見ると、安倍首相が星野源との一方的な「コラボ」で演じて見せた失敗は、彼のソーシャル・メディア戦略の特徴と深く関わっていることがわかる。安倍晋三はメディア上で人と「衝突」できないのだ。

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 リオデジャネイロ・オリンピックの閉会式でマリオのコスプレをすることに顕著に現れているが、ここで安倍首相は彼自身のキャラクターや彼自身の言葉で勝負の舞台に立ったわけではなく、マリオというキャラクターを言わば「口寄せ」して自分自身に憑依させることで力を手にしている。

 同じことは彼の芸能人との関わり方を見ても分かる。例えば2019年の桜を見る会のインスタ・ストーリーでは、IKKOの持ちネタである「どんだけー」やカズレーザーの本名「和令」が「令和」と同じ漢字であることなどを利用している。ここでも、安倍首相は桜を見る会を開く意義を説明するのではなく、芸能人を口寄せしてその魅力を自分自身に取り込む振る舞いをしている。

首相官邸インスタグラムより

 この点で安倍首相のソーシャル・メディアにおける存在感は例えばドナルド・トランプなどとも大きく異なる。トランプ自身が『アプレンティス』というリアリティー番組で知名度を得たタレントであり、ツイッター上での発言を見ても、その発言の政治的あるいは事実としての正しさはともかくとして、彼自身のキャラクターによって人気あるいは拒絶を得ている。

 一方で安倍首相の場合は、彼自身の個性やキャラクターを強調しているわけではない。「口寄せ」したキャラクターの魅力を借りて政治力に利用するのだ。(そのこと自体が必ずしも悪いわけではない。) 

 したがって、安倍晋三の「うちで踊ろう」動画が反発を生んだのは、動画が真の意味で「コラボ」ではなかったことも大きな理由だが、同時に安倍晋三のソーシャル・メディア戦略の強みが「口寄せ」であることを見落としていたことにある。