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 さらに感染症の拡大を食い止めるべく、当時、数百人の僧侶が宮中で読経していたらしい(しかしこの環境も、今思えば完全に「三密」の状態である)。 

 そんなふうにして、感染症に悩まされた奈良時代、仏教は国家の宗教となり、幾多の寺が建立された。やはり、感染症がここまで広まっていなかったら、日本の歴史は変わっていただろう。 

節分の「鬼は外」の本当の意味

 ちなみに奈良時代の歌集『万葉集』には、流行の感染症が「鬼病」という言葉で登場している。 

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「鬼病」とはもともとは仏典用語として「鬼にとりつかれた病気」のことを呼ぶ言葉だが、そこから疫病のことを意味するようになった。 

 節分行事で「鬼は外」と唱えたことがある方は多いと思うが、実はあの「鬼」とは「疫病神」のことなのだ。もとは中国の宮中でおこなわれ、節分のもとになった行事「追儺」では、鬼の姿をした者が疫病で人々を苦しめる「疫鬼」に見立てられた。つまり、疫病をもたらす鬼を追い払う行事が、節分だったのだ。 

「感染症は外に出ていけ」。それが「鬼は外」の意味だった。 

長田神社の追儺式(兵庫県神戸市長田区)©時事通信社

 そりゃ鬼には外に出て行ってほしい。『万葉集』も旅途中の島で、感染症にかかって亡くなった方に向けた歌を収録している(巻15・3688)のだが、こんな思いが詠まれている。 

「時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君」(『万葉集』巻15・3688番一部抜粋) 

「時が過ぎて、月もかわってしまったから、今日帰ってくるか明日帰ってくるかって家の人は待ってるのに、きみは旅先にも着かず故郷にも帰れず、あの島で眠ったままなのか……」。なんとも切ない歌である。 

 奈良時代と違っていまは医療の知識も技術もあるけれど、それでも「家の人」に会えないままでいる人も多いだろう。会いたい「家の人」がいない人も多いだろう。 

 時代は令和なんだし、大仏が建たずともできるだけはやく感染症流行がおさまり、来年の節分にはまた各地の保育園や小学校で「鬼は外~」とみんなで笑う声を聞けますように、とつくづく思う。