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「うるせーぞ、この野郎!」尖ってた坂本龍一がファンにブチギレた“伝説の事件”

2020/04/23

「うるせーぞ、この野郎!」

 いまから40年前のきょう、1980年4月23日、日本武道館で、坂本龍一(当時28歳)が大観衆に向かって怒号をあげた。坂本はこの日、細野晴臣(当時32歳)と高橋ユキヒロ(現・幸宏/当時27歳)とともにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の一員として、小学館の雑誌『写楽(しゃがく)』の創刊記念イベントに出演していた。

1980年当時のYMO(左から細野晴臣、高橋ユキヒロ、坂本龍一) ©時事通信社

YMOは欧米から“逆輸入”された

 YMOは1978年、細野が坂本と高橋を誘って結成された。シンセサイザーなどの電子楽器を駆使した彼らの音楽は、テクノポップと呼ばれ、まず欧米から人気に火がつく。1979年5月に1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』がアメリカで発売され(日本盤は前年11月発売)、8月には米西海岸を拠点とするバンド・チューブスのロサンゼルス公演にゲスト出演。現地の聴衆を沸かせ、前座にもかかわらずアンコールが起こった。この勢いに乗って10~11月には、ロンドン、パリ、ニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストンと欧米各地をまわる第1回ワールドツアーを成功させ、帰国後の12月には東京・中野サンプラザで凱旋公演を行なった。

1979年5月に発売された1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』米国版

 欧米での評判は日本にも伝えられ、“YMO旋風”が巻き起こる。この間、1979年9月には2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされ、そのジャケット写真やコンサートでメンバーが着た赤い人民服、テクノカットと呼ばれるヘアスタイルなど、YMOはアートワークやファッションの面でも注目された。同アルバムの収録曲の「テクノポリス」と「ライディーン」はシングルカットもされ、大ヒットする。

2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』

 年が明けた1980年2月には、メンバーがフジ・カセットに出演してYMO人気に拍車がかかり、大学生はもとより洋楽ファンや小・中学生にまでリスナーを広げた(※1)。同じく2月発売のライブアルバム『パブリック・プレッシャー』は先のワールドツアーの模様を収録し、翌月にアルバムチャートで1位を獲得。3~4月には初の全国ツアー、10~11月には2回目のワールドツアーを行なっている。この年のYMOの全レコードの売り上げは、引退した山口百恵をおさえて第1位となり、日本レコード大賞アルバム賞、FNS歌謡祭特別賞なども手中に収めた(※2)。

「写楽祭」と題された武道館でのイベントは、そんなYMOブームのさなかに開催され、1万3000人が無料で招待された。しかしその内容は、YMOの演奏を期待する来場者たちを大きく裏切るものだった。