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2020/04/30

 ク・スジョン氏は留学を終えてもベトナムに留まり続けた。ベトナム戦争における韓国軍の「犯罪」について緻密な調査を続けた。祖国の罪から目を背けることが出来なかったのだ。 

「村人を一カ所に集めては手榴弾を投げつけられた」

 韓国がベトナム戦争に参戦したのは、朴正煕政権時代のことだ。内戦に介入していた米国が北爆を開始し、ベトナム戦争が本格化。1964年から支援部隊を送っていた韓国も本格的な派兵を決める。南ベトナム政府からの要請という名目で1965年に集団的自衛権を行使し、朴大統領は延べ32万人もの兵士を投入したのである。 

 派兵されたのは「猛虎隊」、「青龍隊」、「白馬隊」と呼ばれる3部隊だった。大規模な虐殺が行われていたのは、主にフーイエン、ビンディン、クワンガイ、クワンナムの4か所。いずれも韓国軍駐屯地の周辺だった。 

 韓国軍はベトナム人から「ダイハン(大韓)」、「朴正煕の兵士達」と呼ばれ、怖れられていたという。 

 ク・スジョン氏が生々しい証言について語る。 

「生き残った方々の証言から、村人を一カ所に集めては手榴弾を投げつけられた、生まれたばかりの乳児が40人以上も殺された、などという凄惨な話が次々と出てきました。機関銃で殺したり、洞窟に逃げ込んだ村民を催涙ガスで燻りだして銃殺するケースもあった。 

「猛虎隊」の訓練の様子 ©getty

 なぜ虐殺が起きたのかといえば、韓国軍が基地を作るためでした。基地を作りたい場所の周辺に村があると、敵が潜伏する隠れ家になりやすい。そこで村人を戦略村(事実上の収容所)に送ろうとしたのですが、ほとんどの村人は村を離れようとしなかった。『私は1mmもここから離れません』と標語を掲げたり、木にしがみ付いて戦略村送りを拒否する村人が多かった。

 そこで韓国軍が選んだ方法が虐殺だったのです。虐殺の85%は1966年に集中していますが、ほとんどは基地設営のためでした〉

戦争に関わった国すべてに問われるべき「歴史問題」

 虐殺は「まるでウサギ狩りでもするかのように行われた」とク・スジョン氏は嘆いた。彼女は90年代から現在に至るまでベトナム戦争における韓国軍の問題の調査を続け、問題提起を続けてきた。 

 だがク・スジョン氏の正義感は裏目に出る。詳しくは拙著で確認して頂きたいが、彼女は行動を起こしたことによって韓国社会から非情ともいえる仕打ちを受けるーー。 

 戦争という厄災にどう決着をつけるのか。それは日本だけが問われる問題ではなく、数多ある戦争に関わった国すべてに問われるべき問題だ。 

 文政権が日韓歴史問題を声高に叫べば叫ぶほど、韓国もまたベトナム戦争という「歴史問題」に向き合うことが求められることになる。 

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