「無観客」にも意味がある
茂木 それは思い切ったモデルですね。
今、スポーツの試合や、音楽のコンサートがどんどん中止になったり、あるいは「無観客」で行われるということが増えているじゃないですか。それでふと思い出したのが、昔、雅楽師の東儀秀樹さんに聞いた話です。宮内庁の楽部で、誰も聴衆がいない中、延々と何時間も演奏を続けることが結構あるんですって。そうして夜中になると、過去の天皇の霊が降りてきて、じっと聴いているような気がするんです……なんて言うんです。いま目の前の観客ではなく、リアルタイムでその場にいない人たちに時差をもって伝わっていくってことが、これから「無観客」というメタファーで見直されてくるんじゃないでしょうか。
宇野 僕も「無観客」というのは、これから大事な概念になってくると思いますね。
スポーツを観る喜びは、本来アスリートたちの美しいプレイを楽しむことにあったはずなんだけれど、いつしかナショナリズムを梃子に盛り上がろう、みたいな部分が強くなってしまった。あるいはコンサートにしても、純粋にアーティストの演奏を楽しむというより、一緒に参加した仲間との時間の共有が目的化したり、後でInstagramに投稿して「自分の物語」を発信するツールに過ぎなくなってしまっているんじゃないでしょうか。これから先しばらく、インターネットを通じてしか、スポーツや音楽のライブを楽しめない時期が続くかもしれません。しかしその状態は、われわれが余計なものから切り離され、純粋にスポーツのプレイや音楽の演奏を楽しむことに回帰するきっかけになるかもしれません。
茂木 東京ドームを埋めて動員○万人、とかいうことが意味をもたなくなってしまうわけですからね。コロナ禍によって世界は激変していくだろうけれど、生活をシンプルに変えていければ、希望が見えてくるかもしれませんね。
宇野 そのためにも走り続けて足腰を鍛えなくちゃ、ですね。