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福山自身は230万枚をどう思っていた?

 その福山は、「桜坂」が爆発的に売れている状況をどう見ていたのか。後年のインタビューでは、《リリースは確か全国ツアーの途中で、ものすごい勢いで世の中に広がっていっていることは感触としてありましたが、とはいえヒットシングルというのは一応それまでも経験しているので、ことさら特別な感情を持つことはなかったと思います》と語っている(※5)。しかし、当人の冷静さとは裏腹に周囲はかなり過熱していたらしい。

©文藝春秋

《あそこまで売れるとちょっとした現象みたいなものになっていくんですよね。当時よく覚えているのは、所属事務所のアミューズの会長がライブを観に来られて、終わった後に『よかったなあ、ビッグヒットが出て。こういう曲をやりながらツアーやっていると本当に気持ちいいだろう!』なんてことを言われたんですね。でも僕としてはいま話したようにそこまで特別な感情を持っていたわけではなかったので、これだけヒットするとこんな風に思われるんだ、見られるんだなと、周りのそうした盛り上がりをむしろ客観的に見ていたような気がします》(※5)

 自作のメガヒットにもけっして舞い上がらなかった福山は、その後も職人的な姿勢を崩さず、寡作ながら人々の心に残る曲をつくり続けている。ちなみに「未来日記」では、第3弾、第4弾と福山のアミューズの大先輩であるサザンオールスターズの「TSUNAMI」が使われ、やはり大ヒットとなり、2000年の日本レコード大賞も獲得している。

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「桜坂」のあと、2003年には森山直太朗の「さくら(独唱)」がヒットし、その後も2005年にはケツメイシ「さくら」、コブクロ「桜」、2006年にはいきものがかり「SAKURA」、2007年にはアンジェラ・アキ「サクラ色」などという具合に、桜の花を通して人々の別れや出会いを歌った曲があいついで生まれている。「桜坂」は、桜ソングが盛んにつくられる端緒となった1曲でもあった。

※1 『女性セブン』2000年6月22日号
※2 『女性自身』2000年5月30日号
※3 『AERA』2000年7月17日号
※4  富坂剛『福山雅治の肖像 エンドレスファイト』(アールズ出版、2014年)
※5 『SWITCH』2015年8月号