豪快に遊び、豪快に働く艶福家
文字で読むとセクハラ以外のなにものでもないが、山田の話術が巧みだったため、あまり卑猥な感じを与えなかったらしい。
事実、オシャレ(あの有名なハゲ頭は、卵白で洗ってツヤを出していたという)で社交的で教養豊かな山田は女性にたいへんもてた。むしろ、もてすぎてトラブルになったほどだった。
その最大のトラブルが、最初の離婚問題だろう。山田は1915年、声楽家の永井郁子と結婚したものの、すぐ別の女性と関係を持ち、翌年離婚のやむなきにいたった。そしてこれが、パトロンの三菱財閥総帥・岩崎小弥太を激怒させ、日本初の交響楽団の解散にまで発展してしまったのである。
この醜聞に、ジャーナリズムが飛びつかないわけがない。「主婦の友」1930年3・4月号に連載された、石上欣哉の「山田耕筰氏と受難の永井郁子女史」もそのひとつだった。
その内容はなかなか強烈。「恋神(エロス)現る――意味深長の長椅子(ソフア)」「奪はれた唇……彼も喘(あえ)ぎ彼女も喘ぐ」といった調子で、よく検閲に引っかからなかったものだと思わされる。
そしてこの記事に衝撃を受けたのが、ほかならぬ古関裕而だった。
古関は、のちに妻となる内山金子に、怒りの手紙を送っている。「彼の芸術は立派だかも、知れないが、あの、腐つた品性を、読んだ時、彼の作品にも、その悪性がしみ込んで居るかと思ふと」「人格は、もう考へる丈けで、いやになります」。
田舎の純朴な音楽青年だった古関は、「先生と同じ血が流れているのではないかとひそかに思ってみたりしていた」(『鐘よ鳴り響け』)ほど山田を崇拝していた。だからこそ、その反動も大きかったのだろう。
いずれにせよ、パワフルな山田は、この程度のトラブルではへこたれず、その後も楽壇の最前線に立ち続けた。豪快に遊び、豪快に働く。夜の街で勇名を轟かせていた志村けんがこの艶福家の役とは、なるほどピッタリではないか。
主人公を大衆音楽の道に導く、ベテラン作曲家というだけでは物足りない。小山田は、朝ドラでどのように暴れまわるのだろうか。