昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

わたしの「神回」

〈世界は崩壊し、我々も壊れていった。狂気に取りつかれたのは俺なのか、それとも世界か…。〉

 作品冒頭の主人公マックス(トム・ハーディ)のセリフがこんなに自分事に捉えられる世の中になってしまったことに戸惑いすら感じる。そのあと登場する水を奪い合う市民にも自分を重ねてしまうし、人々にとって生命線である水と緑を牛耳り、女性たちを子どもを産むものとして搾取する砦の長イモータン・ジョーに(これまで何回もこの映画を観ているのに)今まで以上に怒りが溢れてしまうことからも、今自分自身が日本という国に対して強い想いを持っていることに客観的に気づかされた。

自分の中のフュリオサが目覚める

 だからこそ、長年仕えたイモータン・ジョーに反旗を翻し、女性たちと共に逃げ故郷である「緑の地」を目指すフュリオサ(シャーリーズ・セロン)に、いつもの何倍も勇気を貰えた。日々、政治の不透明さや、家父長制・女性蔑視が色濃く残る現実が、コロナ禍でより炙り出され、ウンザリしてニュースさえもう見たくないし、呆れて物も言えない現実だが、それでも声を上げ行動する勇気を貰える。

シャーリーズ・セロン ©︎getty

 フュリオサを中心に、本作でイモータン・ジョー(権力者)に立ち向かうのはいわゆる社会的弱者だ。フュリオサは自分の行為をredemption(贖罪)と劇中で言うが、まさに今現実世界で声を上げることも、それに該当するのかもしれない。これまでの色々な負の遺産が露呈している今だからこそ、声を上げるべきだとフュリオサが教えてくれる。これまでは声を上げることさえクレイジーとされていたかもしれないし、劇中で語られるように〈立ち向かうことで傷つくくらいなら今のままがいい〉という人もいるかもしれない。でも現実をみれば、もはやそうも言っていられないことをひしひしと感じる。

映画館が再開したら、再上映してほしい

 観終わったあとは、フュリオサの精神だけでも心に置きながら、今自分ができることは何かを考えて行動していきたいと強く感じた。幸い『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の世界とは違い、声を上げるツールは暴力ではない。たとえフュリオサになれなくても、劇中に描かれているように、それぞれがそれぞれの持ち場を守り、自分にできる闘い方で抗うということを改めて教えてくれた映画だった。

©︎iStock.com

 ストリーミング配信やデジタルレンタルもあるので、家で気軽に観られるからこそ、オンラインミーティングツール等も活用しながら色々な人とシェアし、今まで話してこなかったことも考え話すきっかけにすると良いかもしれない。

 そして映画館が再開したとき、多くの新作が公開延期となっているため、過去作品を上映するならぜひ『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を再上映してほしいとも思う。家でしか観たことがない人にとって、映画館の大スクリーンと音響で観る本作の感動は全く別物だからだ。映画は家でも観ることができるが、当然映画館で観るために作られている。ぜひ映画館を応援する意味でも、再開の際はぜひ足を運んでいただきたい。

この記事の写真(5枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー