1998年、プロ野球の横浜ベイスターズが38年ぶりに日本一となった。引き金を引いたら止まらない「マシンガン打線」で相手をハチの巣にし、球史に足跡を残した。抑えの切り札「ハマの大魔神」こと佐々木主浩投手の最優秀選手賞(MVP)選出も、打ちまくってリードを奪う試合展開だからこそ可能だった。

 試合開催のない今、伝説となった1998年の横浜を象徴する一戦を振り返る。7月15日、横浜スタジアムでの巨人戦は、結果を知っていても繰り返し見たくなるプロ野球の「神回」である。

38年ぶりのセ・リーグ優勝を決め、谷繁元信捕手と跳び上がって喜ぶ“ハマの大魔神”佐々木主浩投手 ©時事通信社

ノーサインで打ちまくる

 試合は巨人の圧倒的な攻撃で始まった。清原和博の3ランなど3回表までに7得点で、マウンドには桑田真澄。当時巨人の3番を打ち、現在米国でヤンキース傘下のマイナー選手を指導する松井秀喜氏は、試合を振り返り「横浜の打線が強いのは分かっていた。横浜スタジアムではいつも点を取られている印象だった。といっても、あの時は7対0。一息ついていた」と語る。

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 流れが変わったのは横浜が6点を追う4回だった。先頭から駒田徳広、佐伯貴弘、谷繁元信の3連打で満塁とし、万永貴司、代打荒井幸雄、石井琢朗、波留敏夫が4連続適時打。7者連続安打で5点を奪って6-7とした。

 7回には松井の本塁打などで巨人に2点を追加された。だがその裏、鈴木尚典の中越え本塁打と駒田、佐伯の連続二塁打、代打中根仁の左越え二塁打で3点を奪い、ついに9-9と追いついた。桑田はもちろん、7回までに投げた巨人の5投手全員に計15安打を浴びせた。

都市伝説じゃなかった「ノーサイン」

 ひたすら打ちまくる。それが“戦術”だった。当時、横浜のヘッドコーチとして権藤博監督を支えた山下大輔氏は述懐する。

「権藤さんは、攻撃では本当に何もサインを出さなかった。野手には1年間で一度もバントのサインを出していない」

権藤博監督は、ノーサインの野球を貫いた ©文藝春秋

 横浜のノーサインは当時から奔放なチームカラーを示す例えとして知られていた。ファンは都市伝説のようなものと受け止めていたかもしれないが、本当にノーサインだったのだ。山下氏は「選手はノーサインで走った。ノーサインだから打者はいい球が来れば打つ。相手から見たら、エンドランを決められたという感覚だろうが、あの年はエンドランのサインも一度も出していない。そういう野球で日本一になった。権藤さんの采配は1シーズンぶれなかった」と明かす。