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「不思議な力を感じた」

 9回、今度は巨人に“打ち直し”のドラマがあった。2死一、二塁、清原の三塁ファウルグラウンドへの飛球を万永が目測を誤って取り損ねた。佐伯の本塁打の残像があるうちのプレー。巨人ファンが、今度は清原の番だと沸いた。だが仕切り直しで、五十嵐英樹が外角低めへの渾身の1球を投げ、清原を空振り三振に打ち取った。

 9回裏、先頭の万永の左前打で、ファンのサヨナラ勝ちへの期待が確信に変わったように歓声は高まった。最後は波留が2死二塁で、センター松井の頭上を越える一打を放った。「前進守備だった自分の上を越えてちょうどアンツーカーのあたりに落ちた。あれは今でも覚えている」と松井氏は振り返る。両チーム20安打ずつの打撃戦は13-12、横浜のサヨナラ勝ちで終わった。

©文藝春秋

 山下氏は権藤監督と球場を離れる際に、松井氏に偶然出会ったことが忘れられないという。4打数4安打2四球で、リーグ一番乗りの20号本塁打を放った巨人の主砲は、権藤監督に「勘弁してくださいよ」と言って苦笑したのだという。山下氏は「巨人は清原、松井に高橋が加わった超強力チーム。これでもかというくらい選手がそろっている。その巨人に対してあの打撃戦ができた。野村さん(故・野村克也氏)は勝ちに不思議の勝ちありと言ったが、あの試合はまさに不思議な力を感じた」と話す。

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 普段大げさな物言いをしない権藤監督は、試合後に「もののけに憑かれたような試合だった」と話し、新聞各紙が取り上げた。横浜は6月を13勝6敗、7月を12勝5敗1分で駆け抜け、優勝に向けて突っ走った。

非常事態に思うこと

 22年前の激戦を語った松井氏は、現在ニューヨークを拠点に活動する。本来ならマイナーリーグの3Aと2Aが開幕し、ペンシルベニア州やニュージャージー州でコーチとして忙しく動き回っているころだ。だが今季は新型コロナウィルス感染症の影響で開幕のめどが立たない。ニューヨーク州の感染による死者は4月16日現在1万2000人超で、それに加えて4000人以上の未検査の感染死が出ているとニューヨーク市は発表した。

「今は野球どころでない。私もほとんど家から出ていない」と松井氏は話す。「野球を心待ちにしている方はたくさんいるでしょうけど、優先順位がある。まず野球ができる環境になるまで、みんなで頑張るしかない。我慢して待つしかない」

98年シーズンは、本塁打・打点の二冠王に輝いた松井秀喜氏 ©文藝春秋

 山下氏はBCリーグの新設球団、、神奈川フューチャードリームスのゼネラルマネジャー(GM)として1年目に臨んでいるが、シーズン開催は未定だ。「こんな形で全面的にスポーツが行われなくなるのは、戦争以外では初めてなのでは」とあらためて脅威を感じている。チームが集合できないときに強く思うのは「ソーシャルディスタンスと言われる、人と人との距離を物理的に置かなくてはいけない時だからこそ、心のつながりだけは近くありたい」ということだ。「試合が再開されたら、ファンが心のつながりを感じられるようなチームを送り出したい。それがGMとしての務め」と決意を口にする。