オタク女子ユニット「劇団雌猫」をスタートして、かれこれ3年が経つ。

「インターネットで言えない話」をコンセプトに、オタク女子の浪費話をまとめ、のちに『浪費図鑑』として書籍化することにもなった同人誌「悪友」を出したのが2016年末のこと。平成元年の東京に生まれ、少女漫画とボーイズラブを貪り読み、365日インターネットにログインして、ときにはBL小説のレビューブログを書き、ときにはpixivにBL二次創作をアップし、ときにはネットで知り合った友人とカラオケオフ会して、30歳まで生きてきた。

書籍化された『浪費図鑑』(小学館)

「記憶に痛烈に残っている出来事」としての「神回」

 さて、平成を駆け抜けたオタクならわかると思うが、私は、「神回」という言葉に、馴染み深さを通り越し、ちょっとしたこそばゆさを感じている。

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 何かが「神回」であるかどうかは、各受け手の主観に委ねられている。そのため、自分の「神回」を明かすことでオタクとしての力量(?)がはかられるのが怖い、と感じる人はわりといるのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。30歳にもなって自意識の牢獄にとらわれている……。

 というわけで、シンプルな意味合いにそった「神回」の話にフォーカスするのではなく(臆病者……)、今回私がつづるのは、「記憶に痛烈に残っている出来事」としての「神回」だ。それは決して、マンガやアニメ、映像作品のとあるエピソードではなく、「神がかった」とポジティブに評すべきことでもない。本来「逆・神回」と言うのがニュアンスとして正しい……けれど、平成に萌え転げていた私のオタク生活における一番のターニングポイントとなった出来事に違いなく、だからこそ今回、テーマをひねくれて受け取った形であっても、書き残しておきたかった。

 私が「黒バス」――「黒子のバスケ」のオタクだったと言えば、ピンとくる方もいるかもしれない。

都内の書店に並ぶ『黒子のバスケ』の単行本 ©共同通信社

 そう、2012年10月から起きた黒子のバスケ脅迫事件にともない、黒バスサークルの参加・同人誌頒布が中止された「コミックマーケット83」の話だ。