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客観的に「不要不急」に思えても、純粋に悲しんでいい

 今年の夏コミは日程がゴールデンウィークに前倒しだったのもあって、元々サークル参加はしない予定だった。最近は二次元コンテンツにハマっていないのもあり、一般参加もしないつもりだった。それでも、コロナウイルスの感染拡大にともなう開催中止は、黒バス脅迫事件の古傷をえぐるような喪失感をもたらしている。あの事件以上にどうにもできない、そうせざるをえない状況での決定だけれど、世に出るはずだったかなりの数の同人誌は永遠に出なくなり、コンテンツへの愛を発散する場を失ったオタクがいて、目に見えない変質があることは間違いない。経済的に困窮するサークル作家もいるだろうとも思う。

 コミケに限らず、アイドルのコンサートや2.5次元ミュージカルなど、昨今盛り上がっていた数多くのオタク現場が、自粛要請のもと、開催をとりやめてきた。ファンたちがまず、生活の糧を失う演者や開催側に対する補償を求める声を上げ、署名やクラウドファンディングなどにも取り組んでいるのは、とても素晴らしいことだ。

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 でもやっぱり、コンテンツを愛し、消費してきた私たちは、私たち自身の大切な場を失ったことそのものを、純粋に悲しんでもいいと思っている。客観的に「不要不急」に思えても、生活に困らなくても、自分が参加する予定がなくても、コミケを含む「現場」や、オタク一人ひとりにとって、つつがなく行われていること自体が心の支えになるような、そんなものなのだ。もちろん、この事態が収束した後に、そうした価値観を見直し、新しい社会にあわせて調整しないといけない時代はやってくるかもしれない。でもそうした内省は、もっと後にすればよいはずだ。

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 見に行くことすらできないビッグサイトのことを思い浮かべながら、ゴールデンウィークは久しぶりに「黒子のバスケ」を観ようと決めた。