でも考えてみてください。もし自分の子どもが会ったことのないひとからの友達申請を受け入れていたら厳しく注意するでしょう。だとしたら大人同士でもそういうことはすべきではありません。
「まっとうな大人なら会ったこともないひとに友達申請をしない」「知らないひととつながろうとする大人はおかしい」という感覚を社会の常識にしなければ、子どもが危険を察知することなどできないのです。
ネットとの関わり方は学校が教えるべき? 家庭で教えるべき?
ネット社会との関わり方は学校でしっかり教えるべきだという意見があります。それも正しい。学校からは「家庭でもしっかり話し合ってください」と言われます。それも正しい。でも前提として、大人社会で適切な運用がされていなければ、子どもに対してどんなに正論を説いたところで焼け石に水です。子どもたちが加わってきても大丈夫なSNS文化を、大人たちが率先して構築していかなければなりません。
さらにいえば、これはSNSに限らず便利だけど危険なツールを使う場合の鉄則だと私は思います。自分にはそれを使いこなす自信があったとしても、それと同じ使い方を社会のみんながした場合に、誰かを危険に陥れる可能性はないのかという想像力は常にもっていなければいけません。
たとえば原子力発電。優秀な科学者・技術者は「私なら原発のリスクをコントロールできる」と自信があるのでしょう。でも未来永劫自分と同じような優秀な科学者や技術者がそのリスクを管理してくれるとは限りません。同様に政治あるいは憲法。ある政治家は「私は倫理観も正義感もしっかりしているから、大きな権限をもたされても適切に行使することができる」と思っているのかもしれません。しかし未来永劫そのようなひとが権力を握るとは限りません。
さまざまなリスクに対する大人社会の気の緩みが、SNSのちょっとした使用方法にも表われているように思えてなりません。そのしわ寄せを真っ先に受けるのはどんな社会でもたいがいの場合、子どもをはじめとする社会的弱者なのです。