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ソニー創業者・盛田昭夫が56年前に書いた「新・サラリーマンのすすめ」

ソニー創業者・盛田昭夫が56年前に書いた「新・サラリーマンのすすめ」

結婚と就職は一生に一度というのはもう古い

2017/08/17

source : 文藝春秋 1961年12月号

genre : ビジネス, 働き方, 企業, 経済

note

 私の会社では、このあいだ、事務系統の社員募集のため求人広告を出した。そのとき使ったキャッチフレーズは、

「職業をえらぶチャンスが一生に一度というのはもう古い」

 というのだった。それは私の信念でもあるのである。

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 私の会社は技術を売物にする会社だから、若い優秀な技術者ならたくさん集ってくる。が、事務系統の人材となると、どうも新卒はきてくれない。そこで、すでにサラリーマンでありながら、「無難さ」にあきたらない人に訴えて、思う存分仕事をしてもらおう、と考えたわけである。

 断わっておくが私とて、できたら、就職は一生に一度の方がいい、とは思っている。初恋から発展した結婚生活が、悔いないものなら、こんなにおめでたい話はないのである。なにもハネムーン最中のあいだを裂くばかりが、私の趣味ではない。

 だが、ここで、アメリカの就職というものをみてみよう。

 前にもいったように、日本人の就職の思想は「奉公」だった。アメリカでは、それが「契約」なのである。

「私はコレコレの仕事をする能力がある」と就職志願者が会社に自分を売り込み、会社がそれを認めたら、そこに契約が成り立つ。契約であるから、もしその人員が違反したら、つまり、「コレコレの仕事」をしなかったら、会社は即座にかれをクビにするのである。その代り、かれが思ったより以上の仕事をした場合、給料でそれに報いることをしなければ、その会社はあぶない。いつなんどき、競争会社が、かれを引き抜いていかないともかぎらないのだ。

 引きぬきは野球選手だけのことと思ったら、大間違い。ビジネスマンの引き抜き合戦こそ熾烈そのものなのだ。

 だから、アメリカでは職場をかえればかえるほど、その人間は有能だ、というふうに見られる。

 私の知っているある男は、A社からB社にスカウトされ、給料がビーンとはね上った。そしてしばらくたったと思ったら、またA社がかれを引き抜いて、さらに給料が上った。日本でいえば、帰り新参である。周囲から白い眼で見られるのが関の山だが、そんな男がアメリカでは「価値ある男」なのである。

 思うに、人間の幸福というものの一つは、「所を得てフルに働く」ということではないだろうか。ここで幸福論をやらかしているヒマはないが、よほど怠け者の人でないかぎり、この説に首肯していただけると思う。そしてアメリカ人はある意味で幸福なのである。日本人は同じ意味で不幸なのである!!

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人間を買うという思想

 さて――。私のところに事務系統の社員がヨソの会社をやめて入ってくるとすれば、その人はすくなくとも、こうした幸福を求めてやってくる人にちがいない。ここまではアメリカと同じである。

 が、もし採用した人が充分な働きをしなかった場合、私はかれをクビにすることができるだろうか。否、残念ながら、組合がそれを許さないだろうし、大体社会情勢がそれを許さない。日本ではそんなことはできっこないのである。

 つまり、理想をいえば、職業の選択は、アメリカ型がいいと私は思う。が、理想はあくまでも理想なのだ。日本の企業のあり方や労働情勢を考えあわせると、とても、ジャズや西部劇を輸入するようには、アメリカの職業思想をそのまま輸入するわけにはいかないのである。

 だいたい思想というものは、輸入したり輸出したりできるものではない。だから、最初から私だって、アメリカの経営者を模範としているわけではない。

 むしろ私は思う。日本の経営者は、それらしく、自分の方法で、人材をフルに活用しなければならない。日本的な条件のなかで社員を「無難なサラリーマン」から「意欲あるビジネスマン」へと、レベル・アップすることに努めなければならない――と。ではそれにはどうすればよいのか。