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 話は横道にそれるようだが、さいきんはどこの会社でも、ラインだとかスタフだとかいって、マネージメントの研究をやっている。組織をつくって職務分掌をきめて、そこに新しい能率主義を見出そうとしているようである。これもアメリカが御本家の経営技術なのだが、少しケチをつけると、もともと日本人向きの技術とはいえないのだ。

 というのは、アメリカでは、前に述べたように、会社が人を傭うのは、物を買うのと同じことなのである。物を買うということには、むずかしくいえば、その物の価値が要求されてるという前提がある。人間が買われる?場合も「コレコレの仕事をする」という能力への要求がある。それがつまり、買われる人間のポジションだ。

 となるとアメリカでは、人間よりもポジションが先にある、といってもいいだろう。会社の組織だとか職務分掌だとかいうものが先にあって、人間はあとからはめこまれるのである。野球のポジションのことを思っていただけばいい。セカンドがひとり抜けたから、補充しなければならん、ということと、この仕事をする人間がいないから一人入れよう、ということと、まったく同じことなのである。ラインとかスタフなどはこうしたアタマの国の産物だ。

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 ところが、日本では事情はまるきり違う。経営者は、大学を出たての海のものとも山のものともわからない人間を採用するのである。採用したら、さっきの話で、しまったと思ってもやめさせるわけにはいかないし、とんだ拾い物だった、という場合だってあるわけだ。つまり、仕事より人間が先にあるのである。

 こうみてくると、アメリカの雇傭形態はブロック建築にたとえることができるだろう。まず枠があって、経営者はそこにはまる石を探す恰好なのだ。ところが、日本のサラリーマンは、石にたとえれば、大きいのもあり小さいのもあり、とがったのも丸いのもあるといったあんばい。経営者は入社試験をしてできるだけ形のそろった石を揃えようとするのだが、もちろん理想どおりにはいきはしない。だから、日本の経営者がアメリカと同じようにブロック建築を作ろうとしたら、まちがいである。では何を作ればいいか。――石垣をつくればいいのだ。

 石垣というものは、不揃いの石をうまく組み合せて、はじめて丈夫なものが出来上るのだそうである。日本の経営者の使命は、名城を築いた建築家のように、いろいろな形の石をいかに組み合せるか、ということにつきるのではないだろうか。

盛田氏 ©文藝春秋

あなたの特徴は何か

 具体的にいうと、日本ではいわゆるアメリカ式に、課長は何をする、部長はなにをするという職務分掌を作る必要はないのではないか。この人はなにができるということの認識の方が経営者としては大事ではないか。

 A課長は非常にヒューマン・リレーションは熟達しているけれども、技術的には満足できない。B課長は技術的には申し分ないが、ヒューマン・リレーションはだめだ、ということがあるとする。この違った能力を理解してA課長にはC補佐を、B課長にはD補佐をつける、というのが、石垣造りの初歩のようである。おのおのの特徴をいかに組み合せて、強力な体制をつくるか、これだけが経営者の仕事のすべてだと思う。

 ――日本で、就職という問題を考えつめてくると、以上のような理想図がうかんでくる。

 もちろん、ここに述べたのは人を使う側の理想図だ。だが、使われる側にとっても、事情はまったく変らないはずである。

 冒頭にのべたように、日本のサラリーマンは、出世できないというあきらめを持ったとき、怠惰な、典型的なサラリーマンになる。元来そう出世に執着があるわけではないのだが、出世ということぐらいしか生き甲斐がないとしたら、これも無理のないことだろう。かれはまだ、仕事で自分の能力を出し切ることの快感に童貞なのだ。