2019年5月1日に天皇陛下が御即位されて1年ーー。
新皇后の半生を徹底取材した決定版を140枚余の胸打つ写真とともに再構成した『皇后雅子さま物語 ビジュアル版』(文春ムック)から、令和の皇后のこれまでを特別公開します。
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「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
2004年(平成16年)4月26日、雅子妃は軽井沢でのご療養から帰京された。この頃が、雅子妃の症状が「最も悪かった時期」といわれた。
5月10日、東宮御所・檜の間。訪欧を前に開かれる会見場に現れた皇太子はいつもと変わらないご表情だった。膝の前に置いた手を組み直され、幾分か緊張されたご表情に変わった。
「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます」
そして、記者たちを真っ直ぐ見据えて、次のように述べられた。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
会場の空気は一気に張り詰めた。
「(人格を否定とは)どのようなことを念頭に置かれたお話なのですか」
すると、皇太子はゆっくりと頷かれて、
「そうですね、細かいことはちょっと控えたいと思うんですけれど、外国訪問もできなかったということなども含めてですね、そのことで雅子もそうですけれど、私もとても悩んだということ、そのことを一言お伝えしようと思います」
皇太子の表情は、緊張が解けないままだった。記者の中には興奮して、クラブ席に急いで戻り、あわただしく電話を掛ける者もいた。
疲れた心に追い打ちをかけるような思いやりのない言動
衝撃的な皇太子の発言から1週間。17日、遂に宮内庁が両陛下のお考えとして、
「社会的影響の大きい発言であり、改めて皇太子殿下から、その具体的内容が説明されなければ、国民も心配するだろう」
と発表したのである。
6月8日には、皇太子が書かされたとも言われた「人格否定発言の補足説明」が発表された。
──結局、「人格を否定するような動き」とは何だったのか。
雅子妃が皇室の一員として、また一人の人として生きる道を封じ、孤立させ、希望を奪い、「何も考えずお世継ぎを」と繰り返したこと、ご懐妊されない理由を雅子妃のみのせいにし、疲れた心に追い打ちをかけるような思いやりのない言動を続けたことではなかっただろうか。