「適応障害」と公表
由々しき事態を心配された両陛下は、宮内庁に環境づくりの見直しを検討するよう要請された。宮内庁と東宮職は、ようやく主治医探しに本格的に動き出したのだった。
「人格否定発言」会見から約2週間後、皇太子ご夫妻は、慶應大教授の大野裕医師に初めて会われた。翌6月からは、計画的な治療が始まった。
7月30日午後、宮内庁は会見で雅子妃の病名を初めて公表した。
「適応障害」──。
病名の公表は雅子妃のご意思によるものだった。
「適応障害」とは、どのような病気なのだろうか。
大野医師と同じ米国の判断分類で治療を行っている医師の一人は、「どちらかというとPTSD(心的外傷後ストレス障害)に近い概念です。ただPTSDのように直接生命に関わるほどのストレスではないという違いがあります」と解説した。
皇室内でも波紋を呼んだ「人格否定発言」
皇太子殿下の「人格否定発言」によって、雅子妃に主治医が着任して治療環境が整ったが、同時に多くの軋みも生まれた。
11月25日、午前。秋篠宮殿下の39歳の誕生日会見は、緊張した雰囲気に覆われた。
「私の感想としては、やはり少なくとも記者会見という場所で発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上で話をするべきではなかったかと思っています。そこのところは、私は残念に思います」
と、兄の皇太子に苦言を呈されたのである。
記者は秋篠宮の穏やかな話し方の中にある”剛”を感じ取っていた。
秋篠宮の会見からほぼ1カ月。次に皇太子に苦言を呈したのは、他ならぬ天皇陛下だった。
12月23日、天皇陛下71歳の誕生日の文書で、皇太子の「人格否定発言」については、
〈私としても初めて聞く内容で大変驚き、「動き」という重い言葉を伴った発言であったため、国民への説明を求めましたが、その説明により、皇太子妃が公務と育児の両立だけではない、様々な問題を抱えていたことが明らかにされました〉
雅子妃については、
〈公務と育児の両立に苦しんでいるということで心配していました。疲れやすく、昨年の5月ごろからこちらへの訪問がほとんどなくなり、公務を少なくするようになった時も、何よりも体の回復が大切だと考えていました〉
皇太子ご夫妻は、陛下の言葉を重く受け止められたという。
「病気になった自分が悪い」眠れない日々が続いた雅子さま
「雅子妃はご自分が病気になったことが、”人格否定発言”に繫がり、結果的に両陛下にご心配をおかけしてしまったと心から申し訳なく思われていたといわれています」(元東宮職)
病気になった自分が悪い──雅子妃は不安を抱えたまま治療を行っていた。眠れない夜が続いた。
2005年(平成17年)の新年一般参賀には、2年ぶりに雅子妃も出席された。
この年11月にご結婚され、皇室を離れられる紀宮清子内親王と並ばれ、天を舞う鳥を見つめていた。