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ソニー創業者・盛田昭夫が53年前に提唱した「働かない重役追放論」

ソニー創業者・盛田昭夫が53年前に提唱した「働かない重役追放論」

温情主義経営学はもう古くなった

2017/08/18

source : 文藝春秋 1964年7月号

genre : ビジネス, 働き方, 企業, 経済

note

テンション求める重役

 アメリカでは平社員は時間になればサッサと帰り、土曜日も休むのが普通だ。しかし重役クラスの人は毎日遅くまで残って仕事をし、土曜日でも出勤する人が多い。一所懸命に仕事をしているから、自分の給料は現在これだけだが、こんなに仕事をしているのだからもっと給料を上げろ、と堂々と会社に要求できる。もしそれに会社が応じなければ他の会社へ移ってしまう。求めてエバリュエーションを強調するのも、その評価をもとにして会社と取引きができるからである。自分の権利を主張するためにも、まず評価されることが必要なのだ。

 お互いに食うか食われるかで競争しているのだから、高給をとるアメリカの重役は同じ高給をとる日本の重役より、もっとひどいテンションがかかっているといえる。時間も長く、密度のある仕事を要求されているのだ。それだけに、よりリラックスしたいという気持も強い。だから3週間なら3週間休暇をとって、その間だけはほんとに仕事から逃避して、心身を休めるという生活態度もでてくるのである。

 日本は極端なことをいえば、終身雇用制で間違いさえしなければ定年までは保障されているのだから、下手に働くよりはジッとしていた方がいい。リラクゼーションで仕事によるテンションをほぐすというより、テンションを求めて徹夜で賭けマージャンをやったり、朝暗いうちから起きてゴルフ場にかけつけたりすることになる。仕事であまりにリラックスしているから、遊びではテンションがほしくなる、という滑稽なことになる。

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 アメリカにおいてはある意味では日本以上に「社長」というものは魅力ある存在となっている。社長というのは、ほんとうに実力があってそこまで上った人であって、大学を出て何十年かじっとしていたら何となくおさまっていた、というものではないからだ。

 社長は大てい社員の出勤時間と同じだ。そして夕方は非常に遅い。土曜、日曜もたとえ出勤しなくとも、いつでも連絡がつくようになっている。社員とちがって、社長や重役たちにタイム・カードがないのは、上になればなるほど仕事量は多くなり、勤務時間は無制限だ、という考え方なのである。そして、それに対する報酬も多い。が、それだけに勤務評定される度合も日本より多く、苛酷なものであることも事実なのだ。

能力開発のために

 評価によってクビになったり、報酬がふえたりするのだから、彼らは自分の仕事の責任範囲をたえずはっきりさせておこうとする。ここまでは自分の仕事、それ以外は私には関係ない、という範囲をはっきりさせておかないと、余分な責任までかぶせられてとんだことになりかねない。よくいわれることだが、アメリカでは車と車の衝突事故をおこしても、決して「アイ・アム・ソリー」といってはいけない。「ソリー」といったら最後、自分が悪かったと認めたことになって、莫大な損害賠償をとられてしまう。

 つまり、それほどアメリカでは権利・義務がはっきりしているのである。会社においても、日本人から見れば卑怯だとか男らしくないと思われるくらい、「それはオレの仕事ではない」と一所懸命になって逃げている光景にぶつかる。

 この点に関しては、日本人以上にドライであり、悪くいえばセクショナリズムに侵されているといえないこともない。しかしこれも、エバリュエーション中心に動く体制なのであるから、アメリカ人にいわせれば当然のことなのだ。