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発掘!文春アーカイブス

2017/08/18

source : 文藝春秋 1964年7月号

genre : ビジネス, 働き方, 企業, 経済

神様に近づく

 日本人は地位が高くなればなるほど働かなくなる、とよくいわれる。平社員から係長、課長、部長、取締役と位が上っていくということは、だんだん神様に近づいていくんだ、という考え方だからである。神様に近づくのだから次第に楽になるのが当り前。会社にはゆっくりと出てきてよろしい、秘書のもってくるコーヒーをソファでゆっくり飲む、昼間からゴルフに行く、というように、平社員のできないことが重役にできるのは神様に近づいたためである。

 ところがアメリカでは、会社に「職種」はいろいろあっても「位」というものはあまりない。日本のように係長、次席、主任、補佐、課長などといった複雑怪奇な「位」はない。ゼネラル・マネジャー(総支配人)、マネジャー、クラーク(事務員)の段階しかない。仕事をするにはそれで十分だ。

 日本は「位」で会社が動き、アメリカではポジションで動くといってもよかろう。ポジションというのは、責任と権限の限界を示すもので、上の方へいけばいくほど、当然大きな責任と権限があることになる。

ニューヨークにて ©文藝春秋

 終身雇用制と年功序列をとらないアメリカでは、ある一つのポジションの仕事、職務をしてもらうために人を雇う。入社後はその人がその仕事をやれるかやれないかを会社は評価して、その職務に不適当ならすぐクビにするというのが常識なのである。ほかのポジションへ変えてやろうという温情あふれる日本的観念はまずない。

 部長になっても、その部長としての責任、権限を確実にはたすことによって、その人の部長というポジションは保たれるわけで、日本のように勤続何年になったからその年功によって部長の席を与える、取締役にするということはありえないことなのである。

 大きなポジションをとればとるほど仕事量は多くなり、責任もしたがって大きくなる。だから会社は、それに見合うだけの高給を出す。それだけ仕事に対する緊張度も高まるのだから、休暇もとる。しかし、そのポジションに値しない人なら部長であろうと社長であろうと、いつでもこれをかえるということが、下から上まで徹底している。

 ある会社で非常な欠損がでたことがあった。どうしてそうなったのか社長にもよくわからないというので、株主総会にはかった上で、ニューヨークのコンサルタント専門会社に、社の運営分析をたのむことになった。

 調べた結果は社長のマネジメントが悪いという結論がでてしまい、社長がそのコンサルタントをたのみながら、その報告によってクビにされてしまった、というとても日本では考えられないような出来事が実際にあった。

 私は自由競争経済の恐ろしさというものを改めて感じた。こんな厳しさが日本にあるだろうか。こんな国の企業と日本は競争しなければならないのである。

「重役」というものについて、もう少し述べてみよう。日本では取締役というのは、神様に近づく段階、ランクの一つ、と見做されているが、アメリカの法律上での取締役は全く意味合いが違っている。取締役は株主の中から選出され、その会社の運営を株主代表として取締るというものである。この取締役会の議長になるのが取締役会長であり、この取締役の中で毎日出勤して会社の仕事をみる人が社長ということになる。

 社長はゼネラル・マネジャーなどの任免権はもっていて勤務評定もやるが、一方では、株主代表として会社の運営にあたっているのだから、株主に対してはいつでも信を問わなければならない義務がある。1年1期で決算報告を作り、配当もきめて、株主総会で信を問うのである。

 日本流の半年1期の決算では前期との業績比較ができないので1年1期制であり、それだけに日本のように一度重役になれば、まず2年は大丈夫、といった甘いものではない。日本では社長も、サラリーマンの一番上ということになっているから、社長にも定年あり、という会社さえあるわけだ。アメリカでは「定年」はない。が、1年毎に厳しくその能力を評価され、少しでも失敗があればたちまちクビになる。社長といえども決して神様でなく、株主によって会社の運営がまずいと判断されればリコールされるのだ。