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レコーディング現場に持ち込んだもの

 岡江さんは宝塚歌劇団やミュージカルが好きで劇場にも足を運んでいたことが知られている。また、馴染みのジャズバーに通って知識を深めるほどジャズを愛していた。そんな岡江さんのアルバムに携わった別のスタッフは、岡江さんの意外な歌声に驚いたという。

「企画がスタートして歌入れまでは3カ月くらいかかりました。私は打ち合わせやレコーディングを含めて10回ほど岡江さんと会いました。最初は人前で歌うことを恥ずかしそうにしていて、本人は『自分はそんなに歌はうまくないんです』と話していましたが、レコーディングで歌声を聞くとしっかりしていて、人を引き付ける優しいファルセット(裏声)が印象的でした。

 現場は本当に和やかで、当時の女性マネージャーさんが岡江さんに『制作スタッフさんたちみたいな、いい旦那さんを見つけなよ』と、冗談を言えるくらい全員が打ち解けていました」

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岡江久美子さんのアルバム「YES, I FEEL」の裏表紙

 前出の月光氏も岡江さんの気配りを肌で感じた一人だ。

「岡江さんはすごく気遣いができる女性でした。レコーディングの時には、わざわざ手作りのお弁当を作ってきて、テーブルの上にたくさんの料理を並べてくれたこともありました。早起きしてスタッフ全員分の量を作ってくれたんでしょうね。『忙しいなかで、身を投げ打ってやってくれたんだな』と思い、嬉しかったですね。そんな素敵な岡江さんが亡くなってしまうなんて……。亡くなったことを知ったときは、とにかくショックで言葉も出ませんでした」(月光氏)

岡江久美子さん ©文藝春秋

「大好きなジャズを日本語で歌うことが岡江の夢だった」と語るのは、当時からマネージメントを担当していた岡江さんの所属事務所「スタッフ・アップ」代表取締役の戸張立美氏(70)。岡江さんがジャズ歌手としてデビューした当時の経緯を打ち明ける。

「当時は秋本奈緒美が“ジャズ界の百恵”と呼ばれ、音楽業界にも勢いがあった時代でした。ジャズを日本語でカバーすることがブームだったんです。岡江は写真集を出して話題になった頃で、昔は人気がでるとレコード会社などから『曲を出しませんか?』という話がよくあったんです。それで岡江もオファーを受けたのがデビューのきっかけです」