快楽へ逸脱しクラスター化すれば大惨事
言われてみれば、まだ2月下旬のころ東京のSMクラブに出入りしていた某上場企業の社長さんが感染し、他の常連SMクラブで感染拡大させた後、日本海側に仕事で行ったそこでも夜の街でおさかんに鞭を振るわれて感染を広げてしまっておりました。本人は最初コロナウイルスがまだそこまで酷いことになるという自覚もなかったからか、発症して退院後、まるで武勇伝のように語っておりましたけれども、聞いているこちら側からすれば素直に「死ね」と思いました。
いまはもちろん反省しているようですが、しかし、感染することそのものが悪であり、謝罪しなければならないものなのでしょうか。
別に、彼がハイヒールで顔を踏まれていようと、イカれた女性とセットで縛られ一晩吊られて寝不足であろうと、普段の仕事できちんと応対してくれて共存共栄の関係が築けていればそれが一番いいんですよ。彼の上半身さえしっかりしていれば、極論ズボンはいてない下半身であっても許されます。オンライン会議なら下半身見えませんし。
しかしながら、コロナウイルス対策という美名が一枚挟まり、その困難をみんなで分かち合おうというときに、その人の立場を強く優先しようとしたり、快楽をもとめて逸脱し、間違ってクラスター化でもしようものなら相当のバッシングを浴びてしまう。
「俺を助けて欲しい」と叫んだ劇作家・平田オリザさん炎上
先日は、劇作家・演出家の平田オリザさんがネットで余計なことを言って炎上していましたが、演劇だから製造業など他の産業よりも優先して救われるべきだという趣旨にもとれる発言が発端でした。自分のやってることに最上の価値を認め、みんなも平田さんのためなら何とか実現していこうというような、ある種のエジプトの王朝が絶対王権のもと採算の取れないピラミッドを建てる的な活動に従事していると、なかなか「自分は世間に通用するようなことを主張しているか」という微調整も効かないんだと思うんですよ。
いや、あなた兵庫県豊岡市に移住して大学を作り、そこの学長になろうとしてますよね。利益誘導をするつもりであるならば、もっと受け入れられやすい表現でみんなが「そうだ、やっぱり演劇を救わなければならないんだ」と思えるような共感を呼ぶような言動を演出家らしくやるべきだったんですよ。
そもそも、平田オリザさんは旧民主党・鳩山由紀夫総理の時代に内閣官房参与をされていた御仁でもあります。『コンクリートから人へ』というスローガンのもと、地方経済の維持のために必要な公共工事も無駄なハコ物も一緒に削減されてしまい、多くの地方の建設会社が潰れたり職人・作業員の解雇に追い込まれてしまいました。
いまになって、コロナウイルスで演劇どころではなくなった社会において、平田オリザさんが「俺を助けて欲しい」と叫んだところで、「いや、あなたは他の事業者が苦しいときに理想論で政治に関わって多くの失業者を出す政策に関与しましたよね」「演劇に関わりたい人が多いのをいいことに、時給300円、500円というブラック企業さながらの現場を作ってそこに君臨していたのは平田オリザさんじゃないですか」みたいな反論はガンガンに飛ぶわけですよ。単に平田オリザさんの物言いがムカつくという話だけでなく、過去に平田オリザさんによって痛い目に遭った人たちが大音響で罵声を浴びせているのを見ると、「因果応報」の四文字が極太の揮毫で脳裏に浮かびます。