世界がどうあろうとも、たゆまず筆を動かし続ける。それが本物の絵描きたるものの態度だ。長谷川繁さんも、そのひとりである。1990年代からこのかた、一心に創作へ打ち込んできた画家はいま何を思い、どのように作品と向き合っているのか。アーティスト本人の言葉から探ってみよう。
毎日描くが、打率は3割未満……
大きい画面いっぱいに生姜のお化けのような物体が存在していたり、身をくねらせた魚や壺らしきものが堂々と描かれるなど、長谷川さんの画題は何とも自在で不思議なものばかり。「なぜこんな絵を?」と意味を考えればとまどうばかりだが、画面内の色とかたちが織り成すリズムに着目すれば、一挙に愉しいものに思えてくる。
「そうですね、何を描こうとしているかというのは、自分でもまったくわかっていません。描きながら『こんなものが自分の中から出てくるのか』と驚くのが、僕自身おもしろくてやっていますね。
美大に入った18歳のころからずっと絵を描いていると、描き始めたとたんにどういうものができるのか、だいたい想像がついてしまうようになってくる。なんとかそこからはみ出したものを描きたいです。自分が『描いた』というよりは、知らず『描いてしまった』ものを生み出したいんです。だって未知のものが含まれていなくちゃ、ワクワクしないじゃないですか。
まあ、そういうおもしろいことは、なかなか起こらないんですが。野球に例えれば、毎日打席に立ち続けたって、ほとんどは三振やらピッチャーゴロやらになる。ヒットが打てる確率は、3割に満たないくらいかな。ましてやホームランなんて、1年に一度あるかないかといったところですよ」
長谷川さんの不思議な作風は、絵を描きはじめた当初からあったわけじゃない。
愛知県立芸術大学に入学して手がけるようになったのは、激しい筆致で具体的な物を描く「新表現主義」という、当時の世界的な美術潮流にのっとった絵だった。
20代でドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーに留学し、自分の絵を見せたところ、
「お前が西洋の真似なんかしてどうするんだ?」
と言われ、ぐうの音も出なかった。
「すでにあるものの単なるコピーをしていたってしょうがない。そう思い知らされました。自分の中から何かを引っ張り出してこそ美術になり得ると肝に銘じて、そこから『自分の絵』をつくりはじめるようになった。しばらくドイツやオランダに留まって、33歳で日本に戻るころ、ようやく自分の絵がスタートできたかなというのが実感です」