絵のことはいつも考えている
では実際には、絵はどのようにできていくのか。長谷川作品の「ひと筆め」は、どこからくるのか。
「絵のことはいつも、ずっと考えているんです。日常を送っているだけで、絵についてのメモ書きやドローイングの紙片なんかがどんどん溜まっていく。それらが作品のきっかけになることは多いですね。
でも、あらかじめ絵の設計図みたいなものをカッチリ決めることはしないようにします。自由に描く余地がなくなってしまうので。最初のアイデアとしては、『緑のかたちを描こう』『存在感ある黄色い物体を画面の中心に置いてみて……』というくらいのものに留まりますね。
そこから始めて、ここに石を描いてみよう、まずは棒を一本だけ描いてみようなどと試みます。どんどんイメージが連鎖していけばそのまま描き進めるし、他のイメージがやってこなければいったん放っておいて、他の絵を描いたりする。
ただ、どの絵も頭の中には置いたままにしてあって、どこかで考え続けているんです。アイドリング状態にしておくというか。
するとどういう加減か、いつかまた動き出すタイミングがあるものです。それがいつになるかは、まったくわからないんですが。創作とは何かが自分に『降りてくる』ものだという言い方はよくあるけれど、そうした偶然性のことをさすのなら、まあたしかにあり得るというか、理解できることですね」
結局どんな状況であろうと、描き続けることがすべてだと長谷川さんは言う。上達や進歩をしているかどうか、世間にウケるかどうかなどを考えるのは二の次である。
「画家は、画面に表したものがすべて。描くのにどんなに苦労したか、美術の世界での評価はどうかといったことは、画面の中のこととは本質的には関係ないですものね。自分が納得のいく画面を生むためには、できるかぎり描き続けること。それ以外の方法を、僕は知りませんから」