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「イクラちゃんが禁断のセリフを…」 “永遠の24歳”サザエさんが50年間飽きられない理由

「イクラちゃんが禁断のセリフを…」 “永遠の24歳”サザエさんが50年間飽きられない理由

45年ぶり2度目の「再放送」

2020/05/17
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「帰るぅ」イクラちゃんがしゃべった驚きの回

 ノリスケ一家が転勤から戻ってきた回では、筆者がいまだに忘れられない衝撃的なできごとがあった。ノリスケと妻タイコの息子であるイクラちゃんが、いままでチャーンとかバブーとかハーイぐらいしか言えなかったのに、いきなり言葉を口にしたのだ。同回の冒頭では、磯野家にカセットテープが送られてきて、再生してみると、ノリスケから名古屋から戻るとのメッセージがあり、それに続いて子供の声で「帰るぅ」と入っていた。カツオたちはてっきりノリスケがいたずらで入れたのだろうと思いきや、いざ帰ってきたイクラちゃんと会うと、本当にしゃべれるようになっていたので驚くのだった。ただ、イクラちゃんはしばらくすると、また元どおりになっている。

1946年~1974年まで新聞連載されていたマンガ『サザエさん』。作者・長谷川町子の生誕100年を記念して今年復刊された

 アニメ版『サザエさん』ではこれ以前、1974年12月1日の放送で、それまでタイコに抱っこされていたイクラちゃんが歩くようになった。ここで変更された設定は現在にいたるまで引き継がれている。長谷川町子の原作漫画では赤ちゃんのままだったイクラちゃんを歩かせるという展開は、当時のプロデューサーの松本美樹が脚本家の雪室俊一に提案して実現したものだ。登場人物が歳をとらない『サザエさん』では禁じ手ともいうべき設定変更だが、イクラちゃんが歩けるようになったおかげで、タラちゃんとのやりとりも増え、話に幅が出たのだから、結果的に大成功だったといえる。この先例からすれば、イクラちゃんがしゃべり出してもおかしくなかったとはいえ、さすがにキャラクターに合わないと判断されたのか、こちらは結局“なかったこと”にされてしまった

原作の4コマの「2年間ルール」とは?

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 ちなみに、原作では名前のなかったノリスケたちの子供にイクラと名づけたのも雪室俊一である。『サザエさん』では番組開始以来、この雪室と辻真先、城山昇の3人が大半の脚本を書いてきた。広告代理店の宣弘社から制作に参加していた松本美樹は、彼らの個性を活かしながら、当初、ドタバタ調だった『サザエさん』を現在のようなホームドラマ路線へと導いていった。しかし1985年に宣弘社が制作から降り、松本もプロデューサーを退く。同時に、脚本の3人も一旦降板した。