禅僧の言葉(2)《女が男を選ぶ、男は女を選ばない》
弘文は、実質的に3度結婚している。腹違いの子どもは全部で5人。小柄で美男子でもなかったがよくモテた弘文を、弟子たちは、「女性に対して、いつも受け身だった」「女性の直観力や決断力に、常に一目置いていた」と回想する。
ジョブズが、弘文に出逢ったのは1975年、20歳。大学を中退し、故郷の北カリフォルニアに戻った時のことだった。若く無名で、将来を探しあぐねていたジョブズは、近くにあった「俳句禅堂」を訪ね、指導僧だった弘文と運命的にめぐり逢う。弘文の元妻によれば、弘文に惚れ込んだ「スティーブは、10日に1度は、真夜中までうちに居座っていたわ」。
「女が男を選ぶ、男は女を選ばない」は、モテ男、弘文ならではの至言だが、ジョブズにも影響を与えたようだ。賢妻の誉れ高い夫人のローリーンとジョブズの出逢いを、「彼女が仕組んだ」と考える人は少なくない。ジョブズと長いつきあいだったあるエンジニアは、こんな発言をしている。
「彼女には、計算高い面があります。スティーブとの邂逅も、最初から狙っていたのではないでしょうか」(『スティーブ・ジョブズ』/ウォルター・アイザックソン著)
91年に行われた二人の婚礼を、禅宗の様式で司ったのは弘文だった。プライベートを徹底的に守ったジョブズが、大事な結婚式を任すとは、師弟の深い結びつきが偲ばれる。香が焚かれ、銅鑼がなる挙式で始まった結婚生活を、ジョブズ自身は後年、「素晴らしい妻と出逢い、彼女とともに最高の家族を築けた」と語っている。
禅僧の言葉(3)《私たちには、普段は気づかない心、潜在的に横たわる深く広い心があります》
ジョブズは、自己啓発のためにありとあらゆる方法を試した人物だ。断食、トラウマセラピー、マリファナや薬物のLSD、シャーマニズム、インド放浪……そして禅。愛読書は、ヒンドゥー教の教説集『ウパデーシャ・サーハスリー』、チベット仏教行者、チョギャム・トゥルンパの『タントラへの道』、それに、弘文をアメリカに招聘した僧侶、鈴木俊隆の『禅マインド ビギナーズ・マインド』だった。
私たちには、普段は気づかない心、潜在的に横たわる深く広い心があります。ですが、知識や理解、許容範囲をすべて自分の尺度で築いている限り、盲目なまま、その心に出逢うことはできません。
これは、まさにジョブズが通っていた頃の俳句禅堂で、弘文が語った法話の一部。
新潟出身の弘文は、駒澤大学仏教学部に入学したが、卒論は、「ディグナーガの論理学『因明正理門論本』研究序説」。その後に進んだ京都大学大学院では、文学研究科で仏教学を専攻し、修士論文に「転依(てんね/人格の根本展開)」を修めた。ともに、仏教の唯識説に連なる内容だった。