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 法話で弘文が説いたことも、唯識の系譜にある。つまり——。

 そもそも人間には、おぎゃあと生まれた瞬間から、個人的体験や、民族や人類の記憶が蓄えられるものだ。しかし、たいていの人は、エゴでいっぱいの煩悩が邪魔をして、「潜在的に横たわる」無数の種子を自由に取り出せずにいる。その種を取り出し、本当の自分に出逢えれば、それまで気づかなかった新しいモノの見方ができるようになるが、並大抵の努力や修行でできることではない——。

 精神世界の探求に熱心だったジョブズは、「深く広い心」に到達するために、生涯にわたり坐禅修行を続けた。弘文の生家や修行した永平寺は、曹洞宗の寺院。曹洞宗の教えは〈只管打坐(しかんたざ)〉といって、ただただ坐ることである。

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弱冠20歳のジョブズが、弘文と運命的にめぐり逢った「俳句禅堂」(北カリフォルニア)。現在は一般住居。

禅僧の言葉(4)《小さな自分の存在を忘れた瞬間、全世界が現れる》

 弘文は、「私は禅僧ではない、仏教の僧侶だ」としばしば口にしたが、彼の教えは、オーソドックスな禅にもとづくものだった。

 その弘文が、高校時代から坐禅の師としたのは、高僧、澤木興道(1880~1965年)。全国各地の禅道場を渡り歩いて指導したため、「宿無し興道」と呼ばれた曹洞禅の巨人である。弘文もまた、一所不住で“禅道無宿”な生き方を貫いたが、そこには、興道の影響が色濃く投影されている。すなわち、澤木興道とジョブズは、弘文をつうじて繋がっているのである。これは、ちょっとすごい話だ。

 興道仕込みの坐禅を欧米の人々に伝えた弘文は、適切な姿勢や、なめらかで深い呼吸の大切さを繰り返し説いた。

 長時間坐禅していても、筋肉のバランスを保った本当に正しい姿勢で坐っていれば、あたかもそこには何もないかのような地平にいたることができます。そして、小さな自分の存在を忘れた瞬間、全世界が現れるのです。

 20歳から30年にわたり弘文と修行したジョブズもまた、同様の体験を熱く語っている。

「ただただ坐って自分を見つめると、心に落ち着きがないことがよくわかる。静めようとするとかえってざわついてしまうのだけれど、時とともに落ち着いて、普段は捉えにくいものが聞こえる余地ができる。その時、直感が花開くんだ。いつもより物事がくっきり見えて、現状を把握できる。胆が穏やかに据わり、今まで見えなかったとてつもない広がりが眼前に開く」(前出『スティーブ・ジョブズ』)

欧米の宗教家たちと語り合う。アメリカほか、ヨーロッパでも盛んに布教した © Nicolas Schossleitner

【続き】《禅とは掃き清めること》人間関係ぐちゃぐちゃのS・ジョブズを救った日本人僧侶・乙川弘文の言葉

宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧

柳田 由紀子

集英社インターナショナル

2020年4月23日 発売