スティーブ・ジョブズは、どん底を見た男である。華やかなイメージのジョブズだが、実際には一度、自ら創業したアップル社から追放されている。原因は、傲慢な性格に起因する経営不振。しかも、リベンジを期して興した新会社では、やることなすこと失敗続きで、あわや一文無しに。

 だが、男はあきらめなかった。1996年、アップルに復活すると、iPod、iPhone、iTunesなど世界的ヒット商品を、次々と世に放った——。そんなジョブズの隣には、いつも日本人僧侶がいた。生涯、師と仰いだ禅僧、故・乙川弘文(おとがわこうぶん)。風来坊主とも呼ばれた禅僧から、ジョブズが血とし肉とした「7つの言葉」とは?(全2回の1回目/#2に続く)

乙川弘文(おとがわこうぶん)。1938年、新潟県加茂市生まれ。67年渡米後は、ジョブズはじめ欧米で多くの弟子に慕われた。2002年、スイスの山荘で謎の客死。Photo © Nicolas Schossleitner

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禅僧の言葉(1)「ハングリーであれ、愚直であれ」

 数々の名言を残したジョブズ。なかでももっとも有名なのが、2005年6月、スタンフォード大学卒業式のスピーチで語った「ハングリーであれ、愚直であれ」だろう。原文は、「Stay Hungry. Stay Foolish.」。ジョブズが愛読した「ホール・アース・カタログ」からの引用だ。

 人により、「愚か者であれ」「分別くさくなるな」とも訳されるが、この言葉に、禅との共通点を指摘する識者は多い。曹洞宗北米国際布教総監の秋葉玄吾師もそのひとりで、「『宝鏡三昧(ほうきょうざんまい)』が説くことそのもの」と語る。

 『宝鏡三昧』は、中国唐代の禅僧、洞山良价(とうざんりょうかい)が、禅の教えを漢詩で示したもの。ここに、

 潜行密用(せんこうみつようは)

 如愚如魯(ぐのごとくろのごとし)

 只能相続(ただよくそうぞくするを)

 名主中主(しゅちゅうのしゅとなづく)

 とある。一見愚かに見える行いに、本当に素晴らしいものが隠されている。大事なのは、それを信念をもって続けていくことなのだ、といった意味だ。

永平寺・雲水時代(中央)。写真提供/吉岡博道師

 ジョブズが師と慕った乙川弘文は、1967年に布教師として渡米するまで、福井県、永平寺の修行僧だった。『宝鏡三昧』は、永平寺で毎朝のように読誦するお経である。