アップルの「iPhone」とグーグルの「アンドロイド」の戦いが激しさを増していた頃。スティーブ・ジョブズはビル・キャンベルに執拗に迫った。グーグル経営陣にかかわるのをやめて、アップルの取締役に専念してほしい、と。キャンベルはやさしくこたえた。「私に選ばせないでくれ。君の喜ぶような結果にはならないから」。結局折れたのはジョブズのほうだ。
キャンベルはシリコンバレーで最も有名な黒子だった。ジョブズのほか、グーグル創業者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンなどの起業家、さらには元アメリカ副大統領のアル・ゴアをコーチとして支えた。しかし取材嫌いで、キャンベル自身をとりあげた資料はほとんどなかった。
本書の著者らにとって、キャンベルは恩人だ。エリック・シュミットがグーグルCEOに就任した当初、二〇歳近く歳の離れた二人の創業者との関係はぎくしゃくしていた。両者をとりなしたのがキャンベルだ。「彼がいなければいまのグーグルはない」というシュミットの言葉は真実だろう。
本書は二〇一六年に亡くなったキャンベルへの追悼文にとどまらない。彼を師と仰ぐ八〇人以上にインタビューを重ね、一癖も二癖もある型破りの天才たちを心酔させたエグゼクティブコーチの哲学と手法を丹念に描いている。
キャンベルが「コーチ」の愛称で呼ばれるのは、母校コロンビア大学などで長らくアメフトのコーチを務めたからだ。ビジネスマンに転身したのは三九歳と遅かったが、たちまち頭角を現し、コダックやアップルで幹部を歴任。会計サービス大手イントゥイットではCEOを六年近く務めるなど、経営者として確固たる実績を残している。
アメフトコーチの経験が、キャンベルの土台となっていたのはまちがいない。チームを何よりも重視し、個人プレーに走りがちな天才たちに仲間の話を聞くことを教えた。肩書でマネージャーにはなれても、リーダーにはなれないと説き、部下に関心と思いやりを持つことを教えた。「時間を取ってバラの香りをかぐんだ。バラとは従業員だ」と。
GAFAをはじめシリコンバレー企業成功のカギは、世界中から優秀な人材をかき集め、その創造力を解き放ったことだとされてきた。だが著者らはキャンベルの教えを振り返るなかで、そうした議論にはチームという重要な視点が欠けていることに気づいた。最高の成果を達成するのは個人ではなく、心理的安全性を備えたチームである。孤独な経営者たちを鼓舞しながら、そんなチームの作り方を示したのがキャンベルだった。
本書に序文を寄せた経営学者のアダム・グラントは、キャンベルが実践した人材管理やチームコーチングの原則は、最先端の研究のはるかに先を行くものだったと指摘する。日本のビジネスマンにとっても学ぶところの多い一冊だろう。
Eric Schmidt/1955年生まれ。長年グーグル会長兼CEOなどを務め、現在グーグルのテクニカルアドバイザーを務める。本書はジョナサン・ローゼンバーグ(元グーグル副社長)、アラン・イーグル(グーグルの各部門責任者を歴任)との共同執筆。
ひじかたなみ/日経新聞記者を経て、翻訳家に。主な訳書にオーレッタ『グーグル秘録』、シュミットら『How Google Works』など。