三菱商事、ソデックス、ローソン、サントリー……。私は社会人になってからこれまで、商社、外食、小売り、製造業と、さまざまな場所で仕事をしてきました。私がそこで何を考え、なぜ挑戦し続けることができたのか。現在までのキャリアの中から、本当に役立つエッセンスをこれからお話ししたいと思います。
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1週間ほど会社に行かなかったことも
リーダーはどうあるべきか。もし歴史上で好きな人物を挙げるとすれば、中国・唐時代の第2代皇帝である太宗になります。彼は、幅広い人材登用などで政治基盤を確立し、「貞観の治」と呼ばれる唐の絶頂期の世を築いた人物です。この時代の統治の要諦が書かれた『貞観政要』は、今も経営者を始めとしたリーダーたちに読み継がれています。私もローソンの社長時代に『貞観政要』を読んで、ものすごく感激しました。
振り返ってみると、私は三菱商事で働いていたとき、いつも上の人にもの申すときは、進退をかけていました。三菱商事社長を務めた小島順彦さんにはかわいがってもらいましたが、いつも反発をしていました。「私の言ったことが聞いていただけないのでしたら、もう辞めますから」と、1週間ほど会社に行かなかったこともあります。ローソンの社長になる2年前くらいのことです。次の就職をどうしようかとも考えていました。すると、当時、上司だった小島さんから「そろそろ出てこいよ」と電話がかかってくるんです。私は「出てこいと言われても、私が正しいことを認めていただけないんだったら、一緒に仕事をする気はありませんから」と家でふて寝をしていました。
社長は「いいやつ」と思われては駄目
でも、電話がかかってきたとき、「この人、並みの経営者じゃない」と思いました。普通なら、「だったら、もう辞めりゃいいじゃないか」となるはずです。その意味で、小島さんは、本当にすごい人でした。私にとっては恩人かもしれません。同じように、三菱商事会長を務めた佐々木幹夫さんからも応援してもらいました。もう本当にとことん応援してくれました。ローソンを任されたとき、その二人から「好きにやれ」と叱咤激励されました。
ローソンが変わったのは、結局は人です。人が育ったんです。3・11の東日本大震災のときも、私の指示がなくてもみんなが自主的に被災地の支援に動きました。そのとき、私は社長を退いても大丈夫だと感じました。
それまでは社員にとって、私は厳しい社長に見えたかもしれません。でも、そもそも社長は「いいやつ」だと思われては駄目なのです。社長は嫌な役回りを演じなければならないのです。でも、最後は「この人なら許せる」という存在でなければならない。この「最後は許せる」というところが大事なのです。嫌悪感のある「嫌」ではない。「この人はきつい。きついけれど、最後のところはいい人だ」というのがいいんです。
のちに佐々木さんからこう聞きました。
「新浪君は、社内のパーティーで騒いでいるときに、みんなのところにフライドポテトを持って回って、『いつもありがとうございます』とやっていた。君はああいう仕事でも本当に真面目にやっていたよね。うちの社員ではめずらしいよ」
佐々木さんはかつて人事担当役員でしたが、当時のことを覚えていただいていたんです。そのときローソン社長になった決め手は「君の別れ際の笑顔なんだ」と言われました。
自分では気づきませんでしたが、私も先輩経営者の方々を見ていると、ある種のかわいさを感じるときがあります。やはり社長は厳しい存在でも、最後に笑顔になったとき表れるようなチャームが必要なんですね。
人が喜んでくれることを楽しむ
リーダーとは大変な仕事です。自己犠牲でもあり、ときどき何のためにやっているのか、よくわからなくなります。でも、仕事をしていて、一番うれしいのは、人が育ち、また喜んでくれることです。案外、社長という仕事は結局、そのためにやっているのかもしれません。人が喜んでくれることを楽しむ。そういう仕事じゃないかという気がしています。
聞き手:國貞 文隆(ジャーナリスト)
新浪 剛史 サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長
1959年横浜市生まれ。81年三菱商事入社。91年ハーバード大学経営大学院修了(MBA取得)。95年ソデックスコーポレーション(現LEOC)代表取締役。2000年ローソンプロジェクト統括室長兼外食事業室長。02年ローソン代表取締役社長。14年よりサントリーホールディングス株式会社代表取締役社長。