歌舞伎町では警察は頼れない
そのため息は暴力団対策に当たっている現場の刑事たちの偽らざる本音に違いない。実際、歌舞伎町で発砲事件があっても、到着した捜査員はなかなか現場に踏み込もうとしない。この後、歌舞伎町でその事実を嫌というほど経験した私は、2007年、東京・町田市の公営団地にたった1人の暴力団員が立て籠もり、警察が悠長に構えているのをみても、なんら不思議に感じなかった。1ヶ月後、愛知県で同様の立て籠もり事件が起き、首を撃たれた巡査部長が5時間近く放置されても、なるほど日本の警察らしいと思った。
区役所通りで客引きをしていたなじみの黒服も、警察の慎重な対応——彼に言わせれば 逃げ腰の姿勢をいつも批判していた。
「歌舞伎町で発砲事件が起きたとき、警察は遠巻きにそれを見ている。ほとぼりが冷めるまで待っていて中に入ることはない。アメリカのようにやれとはいわないけど、もうちょっと根性入れてやって欲しいよ……」
撃たれるのが怖いのが人情とはいえ、市民社会の番人として腰の引けた印象を受けてしまうのは否めない。こういった様子を見かけた人間が警察は頼れないと考え、トラブル解決を暴力団に依頼するのも、また人情だろう。
血と泥で汚れた部屋で
警察官が帰ったあと歌舞伎町専門カメラマンが数人、姿を見せた。彼らは喧嘩や刃傷沙汰、事件を求め、毎夜歌舞伎町をさまようハンターだ。その執念たるやすさまじく何度も執拗に懇願された。
「すぐ終わりますよ。これ名刺です。あっ、なんだ。同じ雑誌に書いてる人じゃないですか」
同じ穴の狢という親近感はあったが、部屋からの撮影は遠慮してもらった。シャッターチャンスはとっくに去り、事件の残滓がかすかに残っているだけだ。すでに遅い。決定的に。それに一刻も早く自宅に帰りたかった。血と泥で汚れた部屋でくつろげるほど、私の神経は太くない。
病院に搬送された暴力団員が、手当の甲斐なく死亡したと知ったのは3日後だった。事件性はなく、刑務所から出所したばかりで鬱気味の組員が、多量の睡眠薬を服用し、誤って落下死した不幸な出来事だったらしい。私は仏教徒ではないが、しばらくバルコニーに線香立てを置いた。それ以降は歌舞伎町に雪が降ることもなく、ヤクザが空から降ってくることもなく、お盆を過ぎ、最後の線香をあげて片付けた。
いまもときおり、あのときシャッターを切っておくべきだったのか悩む。