文春オンライン

「三十路の女には、ロクな男が寄り付かない」55歳の風俗嬢が“救いの神”を待ち続ける理由

『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-』より#2

note

消えた母、宗教に逃げる父

 高度経済成長期に、人口増が加速度的に進んでいた東京・多摩地区。その片隅にある酒店の娘として、立花さんは生まれた。両親と4人の兄に囲まれ何不自由なく暮らしていたが、立花さんが4歳の頃、母親が上の兄2人を連れて家を出ていってしまった。父親は幼い3人の子どもを育てるため必死で働いていたが、心にあいた穴を埋めるかのように、新興宗教にハマっていった。

「父は店の売り上げの大半を献金するほど、宗教にのめり込んでいきました。そんな環境に耐え切れず、上の兄は自室に引きこもるように。私も異様な家庭環境から逃れるように、中学生になると非行に走り、シンナーを吸っては不良仲間の家を泊まり歩くようになりました」

 最終学歴は中学卒。若く刺激に飢えていた立花さんは、夜な夜な家を抜け出してはディスコに繰り出すようになったという。

ADVERTISEMENT

©iStock.com

一時の夢はバブルと共にはじけた

「18歳になる頃には、男の家を渡り歩いていました。泊まれることができれば、SEXしてもそれでいいという感じ。そして友達が『ウェイトレスだけど、時給がよくて稼げる』と紹介してくれたのが、歌舞伎町のキャバクラでした」

 キャバクラの当時の時給は、1時間3000円。タバコ一箱200円の時代に、10代の子どもが持つには相応しくない大金を稼ぎ、新宿の夜を謳歌した。そしてディスコで出会った羽振りのいい男の家に転がり込んだ。時はバブル前夜。お金は尽きることなく降ってくると信じていた。

 しかし狂乱は続かず、バブル景気が収束の気配を見せた25歳の頃には華やかな男たちは姿を消した。気づけば、立花さんはひとりになっていた。

「仕事を探そうと頑張ってみましたが、担当した面接官から『中卒ですか?』と何度も確認されるなど、ぜんぜん採用の通知は届かない。仕方なく、友人の経歴を借りて事務職員の仕事を得るも、結局は実務ができず職場で浮いてしまって辞めることに。結局、水商売をするしかないという結論に……」