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負け試合も多かったけど……私がホエールズとベイスターズを応援する理由

文春野球コラム Cリーグ2020

2020/06/06

 なぜホエールズのファンになったのだろう。なぜベイスターズのファンを続けているのだろう。横浜出身、父の影響、理由はそれだけではなさそうです。

 私は物心ついたときには大洋ファンでした。川崎時代は見た記憶はなく、すでに横浜大洋ホエールズになっていました。父はいつから大洋ファンなのか、これまではっきりと聞いたことはありませんでした。大洋が横浜に来る前、私が幼稚園のころの写真を見ると、な、なんと、オレンジ色のGIANTSと書かれたランニングシャツを着ている私がいます。私はそのことを覚えていません。まさか、我が家はかつて巨人を応援していた歴史があるのでしょうか? そんな話も聞いたことはありません。その後、小学生のころの写真には、YOKOHAMAの文字の入ったランニングシャツと大洋の帽子を身に着けて写っています。これは自分で好んで着ていたのを覚えています。

小学生のころ、伊豆へ家族旅行したときの写真 ©檜山靖洋

気が付けばブルー系の色のチームばかりを応援していた

 初めての横浜スタジアムは、おそらく小学1年生のとき、父に手をひかれ見にいったナイターでした。カクテル光線の中、マリンブルーのユニフォームとブルーのフェンスが鮮やかでした。斉藤明夫投手が完投勝利し、私の観戦デビュー戦としては最高の試合でした。ただ残念だったのは次の日も平日で、私は学校があるし、父の朝も早いので、早く帰るため関内駅までの混雑を避けようと、9回表ツーアウトになったところでスタジアムを後にしました。ヒーローインタビューは、横浜公園内のスタジアムから離れつつある場所で、歩きながらなんとなく聞こえてきました。

 その後、年に数回のスタジアムでの観戦はチーム成績に比例していい試合ばかりではなく、負けた試合も多かったです。それでもファンを続けてきました。

 野球以外にもいろいろなスポーツを見て応援してきました。バスケやラグビーを見るのも好きです。NBAもよく見ていた時期がありました。一番見ていたのはシカゴ・ブルズにジョーダン、ピッペン、ロッドマンがいたころです。ブルズは強かった。でも、赤を基調としたユニフォームを応援することはありませんでした。応援していたのは、そのときファイナルでブルズと戦ったユタ・ジャズ。紫に水色が少し入ったユニフォームでした。私の心には青系の色がなじみました。

 社会人ラグビーもよく見ていました。赤いジャージの神戸製鋼が強かった時代です。でも、私は東芝府中を応援していました。父が仕事の関係で東芝を応援していたのもありますが、ジャージの色は青でした。

 大学ラグビーも子供のころから見ていました。ラグビー早明戦は、紫紺のジャージの明治大学を応援していました。のちに私は明治大学に入学しました。子供のころから明治大学に入りたかったわけではありませんが、エンジの早稲田ではなく、紫紺の明治を選びました。正確に言うと、これは選んだのではなく、大学に選ばれた(選ばれなかった)のですが……。そして、大学に入ると、紫紺を応援したくて応援団吹奏楽部に入りました。

 このように、気が付けばブルー系の色のチームばかりを応援していました。