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あの餃子はもう食べられないのか……神保町の小さな名店「スヰートポーヅ」のあったかい記憶

店名の由来は?

2020/06/12

 東京の餃子の名店がその歴史に幕を下ろした。6月10日夕方、神田神保町の「スヰートポーヅ」に閉店の貼り紙が掲示されている旨がツイッターに投稿され、情報は瞬く間に拡散。Twitterモーメントにも掲載された。

 神保町では数日前、「スヰートポーヅ」近くの洋食店「キッチン南海」が入居建物の老朽化を理由に閉店すると判明したばかり。10日19時頃、両店のある神田すずらん通りを歩くと、閉店を半月後に控える「キッチン南海」には長い列ができていた。南海は現在の料理長がのれん分けする形で同じ神保町に新店を構えることが決まっている。しかし昔ながらの店の雰囲気を惜しんで多くの人が並んでいるのだ。その列は「スヰートポーヅ」の向かいまで続いていた。

「スヰートポーヅ」の餃子ライス ©黒田創

“お客様各位 閉店のお知らせ 長い間のご愛顧 誠にありがとうございました 厚く御礼申し上げます 店主”

 長年多くの人に愛された「スヰートポーヅ」の扉に貼られた別れの挨拶は、ごくシンプルなものだった。店は東京都の緊急事態宣言を受けて4月上旬から休業していたが、そのまま再開することなく閉店となったのは、もしかしたらコロナ禍以外にも理由があるのかもしれない。しかしその静かな引き際と短い挨拶文には、この店の“らしさ”が表れていたように思う。味はもちろん、いい意味で素っ気なく昔の食堂のような雰囲気。それ込みで足を運んでいた人も多いのではないだろうか。

6月10日に閉店した「スヰートポーヅ」。横のショーケースも片付けられていた ©黒田創
「スヰートポーヅ」店主による閉店の挨拶文 ©黒田創

 店は神保町古書店街の裏側にある。靖国通りから明倫館書店と一誠堂書店の間の細い道を入ると正面に【包子餃子 スヰートポーヅ】と記された黄色い看板が見える。間口は2間ほど。天気のいい日は扉が開け放たれ、外から木珠の暖簾越しに混み具合が確認できる。ランチタイムを外して14時すぎに行くと、大抵は待たずに入ることができた。

 通路の両側に4人席が計6卓、2人席が1卓。空いていれば店のお姉さんが1人客を各テーブルに振り分けるが、混み始めると「相席お願いしますね~」と告げられ見知らぬ者同士が小さなテーブルで相対することとなる。