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「スヰートポーヅ」店名の由来は?

 卓上に置かれたメニューの裏には店の由来が書いてある。創業者は1932年に旧満州の大連で「おいしい包子(ポーヅ)」を意味する天津包子と餃子の店「スヰートポーヅ」を開いた。店を5年間営業したのちに帰国し、以後終戦までは違う店名で営業していたという。再び「スヰートポーヅ」として店を再開したのは1955年。開店から65年。当時のことは知る由もないが、きっと開業時から同じ味を守り続けてきたのだろう。近年はどこの街にも、この神保町にも餃子を専門とする店は増えたが、少なくともこの味だけは絶対に他では食べられない。唯一無二の餃子だった。

 店名の由来となった天津包子は、仕事仲間と夜に訪れた際にビールのお供に注文する機会が多かった。こちらは1人前5個入り880円。焼餃子とは違い小ぶりで、皮が上部でしっかり綴じ込まれている。餡は筍と椎茸の香りと旨味が効いており、それを辛子醤油で食べるのが好み。しかし昼の空いている時に入り、サッと食べて出る習慣がついているため、どうも夜にビールや包子を頼んでも腰を据えて食べる気になれない。結局早食いして店を出るのが常だった。

13時以降に注文できる天津包子。筍と椎茸の風味が効いていた ©黒田創

 思えば天丼、天ぷら、とんかつの各店が連ねていた「いもや」は数年前に天ぷらの1店を残して神保町から姿を消してしまった。少し前に「キッチン南海」閉店のニュースを知った時も、「スヰートポーヅ」だけはいつまでもあの細い道の正面、千代田区神田神保町1の13に当たり前にあるものだと勝手に信じ込んでいた。20年以上に渡り何度となく口にし、舌に染みついた餃子の味。今はまだ鮮明だけど、これ以上記憶を更新することはできないのだろうか。

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 いつか何事もなかったようにあの扉が開いていて、「餃子ライス入りまーす」とお姉さんの声が聞こえる日が来るんじゃないか。突然だけど静かに訪れた別れの時。あの短い挨拶文を思い出しながら、望み薄と承知しつつも心のどこかで少しだけ期待してしまうのである。