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 昨年末、終電近くの時間帯に、有楽町駅の地下街から地上への出入り口で、大きな鞄を抱えた男性が階段に座っていた。地下街へのシャッターが閉まるのを待っているのだ。シャッターが下りたら、その手前のコンクリートの床が彼の今晩のねぐらになるようだ。

「朝までここで?」と声をかけると「朝までじゃないよ」と返事が返ってきた。彼らは深夜に歩いて空き缶などのくず鉄を集めたり、個別のルートで食べ物をもらったりしているらしいが、それ以上詳しくは話してくれなかった。

 そんな中、突然のように襲ってきたコロナショック。ニューヨークでは7万人以上ともいわれるホームレスの人々への感染拡大が懸念された。日本でも支援団体による炊き出しの中止や回数減など、生活困窮者の保護が問題になっていた。そんな状況で、銀座という特殊な街に生きるホームレスたちはどのように過ごしていたのか。

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もう一つの銀座の顔、夜の街8丁目界隈は人気がなく閑散としていた。

人がいない街では彼らも暮らせない

 コロナ禍による緊急事態宣言が出された今年4月、銀座の通りからは車も人も消えていた。オフィス・ワーカーは在宅勤務となり、大手デパートも全休。空っぽになった銀座の街を歩くと、これまでになく彼らのことが気になった。

 開いている僅かな飲食店もテイクアウトやデリバリーになっていた。飲食店などからのフードバンク的な提供がなくなれば、彼らの食事は支援団体などによる炊き出しと行政の僅かな配給だけになる。人がいなければゴミも出ないため、収集した空き缶を屑鉄屋で換金することも困難だろう。加えて、もし彼らが新型コロナウイルスに罹患してしまったら……。この日、彼らの姿は見かけなかった。

 4月も半ばを過ぎたある日、「こんな場所に」と驚くような所で彼らに出会った。昼1時過ぎの東京駅、一斉休店中の地下街や八重洲口リムジンバスのバス停で休んでいたのだ。地下街では60歳くらい(年齢はすべて筆者の推測)の男性が大きな荷物を背負って立ち上がるところだった。

「後ろ(姿)なら」いいと撮影に応じてくれた。東京駅、一斉休店中の地下街で

「写真を撮っていい?」と聞くと、「後ろ(姿)なら」と重い声。1度だけシャッターを押すのがやっとで、話を聞こうとしたが言葉が出なかった。

 小雨が降る4月末の夜、新橋駅から有楽町方面へ向かう外堀通り沿いのビルから、一人の男性が白いスーパーのレジ袋をぶら下げ出てきた。玄関の軒先に置いてあった大きな手提げ荷物を持ち、小雨の中を歩き去っていった。白い袋の中は、メニューの残りや消味期限が迫った食品などを僅かに開いている飲食店から譲り受けたものだろうか。コロナ禍以前にはこういった光景をときどき目にしたが、店が閉まっていてはそれも叶わない。東京都では、4月25日から小池百合子知事が呼び掛けていた「ステイホーム週間」の結果、銀座周辺での滞在人口が平日で88%、休日で84%も減少したという。