1ページ目から読む
4/4ページ目

「治療が始まると『早く家に帰りたい』なんて言ったりするけん。でも、あと2回。あと2回っていうのが大きいみたいですね」

 

夢華さんの義足は、長崎大学病院の近くにある義足の製造所「長崎かなえ」で作られたものだ。
義足を手がけた二宮誠さんは、彼女に初めて会ったときの印象をこう語る。

「平成27年の10月7日に会ったと手帳に書いています。中学生で女性だってことで非常に気を遣いましたね、気落ちしてますから、あまり元気ないし。
時間はかかっていますよ。仕上がったのが翌年の3月」

ADVERTISEMENT

夢華さんの義足は、膝の高さ、足の向きなど細かく調べ、5か月をかけて作られた。

 

「2本目のときは元気があって、『こうしてほしい、ああしてほしい』と積極的でしたね」と二宮さん。

「やっぱり切断したり、機能を失うと非常にがっかりして、最初はあまり義足に期待しないじゃないですか。
でも義足を履いているうちに、私も一般の人と同じようなことができるんだというふうに、希望を持っていくことがいいですね」

 

2016年6月。
抗癌剤治療が終わり、待ちに待った退院の日。
入院生活は1年1か月にも及んだ。

迎えに来てくれた家族に、その長い入院期間で溜まったたくさんの荷物を持ってもらう夢華さんは、「やっと帰れる」と晴れやかな表情だ。

ナースセンターにお別れの挨拶に向かうと、家族のように接してくれた看護師たちは涙が溢れ言葉にならない。


いよいよ夢華さんは、本格的な高校生活を迎える。



後編では、再発、そして続く治療と戦いながらも、高校生活を楽しむ夢華さんの姿を追う。
 

※この記事は、テレビ長崎で2019年5月に放送されたドキュメンタリーを記事の形に再編集したものです。
松尾夢華さんは2020年1月11日に亡くなられました。夢華さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。