やはりフェイクニュースではなかった
皮肉にも配備の候補地を報じたのも、それが断念されると報じたのも読売のスクープだったわけだ。
しかし河野氏はこれをフェイクニュースとツイートした。
巧妙だと思う。そりゃ、まだ水面下で動いてる時点だろうし、何より公式には発表してないから。
なので将来もしイージス・アショア断念を正式に発表する際も「あの時点ではそんな事実はなかった。フェイクニュースだった」と言うのではないか? と、私は失礼ながら考えていた。
そしてきのう、河野太郎防衛相は「イージス・アショア」の配備計画を停止すると表明した。読売の報道はやはりフェイクニュースではなかったのである。
確信犯だからこそ危険
河野氏としてはバンバン書きやがってとイライラしたのかもしれない。防衛上の大事な話だとはわかるが大臣が簡単にフェイクと言ってしまう言葉づかい。怖いのは、マスコミに対して「勝手に書くとこうなるぞ」という意味も含んでしまっていることだろう。そして何より、俺の言うことが正しいという植え付け。
「防衛大臣」のツイートはこういうことをたまに混ぜてくるのです。
危険なツイッターの使い方ではありませんか?
ユーザーに対して媚態しつつ、たまにこういう「毅然」を見せる。素直に読んだ人は河野氏に共感する。
河野氏は確信犯でこれをやってると思うから危険だと思うのです。
最後に。5月の読売報道の時点で河野氏が「新屋断念」をフェイクニュースだと言ったもう一つの可能性がある。
「もしかしたら河野大臣だけ知らされてなかった説」だ。
あくまでも仮説だが、もし万が一そうだったらと考えるとツイッターで「フェイクニュース」だと焚き付けた理由もわかる気がする。
しかし、感情を誘導する使い方は非常に危険だ。
公人だろうが私人だろうが簡単に「フェイクニュース」と言ってしまう人を私は警戒する。
以上、「河野太郎研究」第2弾を終わります。
またそのうちやります。