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幻の「西高島平駅」~「和光市駅」延伸計画があった

 実は、都営三田線は西高島平駅から延伸して都県境を跨ぎ、和光市駅まで乗り入れる計画があった。さらにそこから東武東上線にも直通しようというものだ。もともと和光市~高島平間は東武鉄道が鉄道敷設免許を取得しており、東武高島平線という計画路線であった。その一部の譲渡を受けて延伸開通したのが高島平~西高島平間である。

 この幻の計画は、実際に西高島平駅から徒歩5分で和光市に入ることを理解したり、近くに和光市駅があることを知ればなるほどと納得できる。しかし結局、東武東上線には東京メトロ有楽町線・副都心線が直通運転をはじめたことで事実上断念。実際にはまだ東京都の都市計画の上では完全に消滅したわけではないようだが、路線延伸が達成されることはもはやありえないといっていいだろう。西高島平駅のぷつりと高架が途切れる構造は、この幻の延伸を見越したものだったのだろうか。そう思えば、なんとも物悲しく見えてくる東京区部の最果ての駅である。

再び路線図。西高島平駅~和光市駅を結ぶ幻の延伸計画があった
幻の計画を知り、もう一度、ぷつりと切れた高架を眺める

 ここで再び西高島平駅前に戻る。途中で首都高の下を歩いて荒川方面に寄り道をしてみた。新河岸川と荒川を渡ればそちらもまた埼玉県だ。ほんの少しだけ和光市を通った対岸は埼玉県戸田市。1964年の東京五輪でボート競技の会場になったボートの聖地・戸田漕艇場やボートレース戸田もすぐそばである。河川敷は野球場になっていて、少年たちが野球を楽しんでいた。

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荒川の河川敷

 この荒川・新河岸川と駅の間にはトラックターミナルや板橋市場といった物流施設が集まっている。首都高に近く、交通の便がいいということで物流拠点になったのだろう。高度経済成長期になっても大型団地を建てられるくらいに巨大な土地が空いていたことも理由のひとつかもしれない。その物流施設を横目に駅に戻り、再び都営三田線に乗って西高島平駅を後にした。

 1970年代、日本の成長を象徴するかのような巨大団地と都県境を越えんとした都営地下鉄の夢の跡。物流施設に無言で出入りする無骨な大型トラックたち。最初に西高島平駅のコンコースに出て感じた昭和の薫り。それはこうした東京区部最果ての駅だからこそのものなのだろう。

 

写真=鼠入昌史