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2020/06/22

 電車は地下を走って新板橋、板橋区役所前といかにも板橋区っぽい名前の駅を通ってゆく。このあたりでパラパラと降りるお客もいるのだが、ガラガラになるほどではない。それどころか、降りたそばから新たなお客が乗ってくるから車内の混雑ぶりはあまり変わらない。地下を走るから実感はできないが、地図で見るとどうやらおおよそ中山道の地下を走っているらしい。

地上に出た三田線から団地をながめていたら“終着駅”だった

 ようやく少しずつ空きはじめて筆者も座ることができたのが志村坂上駅。そこを過ぎると電車は地上に出て高架を走る。古くからの人口密集地である都心部は地下を通らざるを得ないが、郊外に来ると地上に出る地下鉄は多い。民家や商業施設が密集していなければ、わざわざカネをかけてトンネルを掘る必要がないからだ。つまり、裏を返せば三田線の端のほう、建設当時は特になにもないような場所だったということになるのか。

今回の路線図。目黒駅から西高島平駅まで三田線で約50分。巣鴨駅からは25分ほどで着く。西高島平駅は東京都板橋区にある

 ……といったことを考えていると、電車は南側に高島平の団地群を見ながら西へ走り、高島平駅・新高島平駅を経て終点の西高島平駅に到着した。その名の通り、高島平駅の西にあり、高島平の団地群の西の端。そうした場所に“ナゾの終着駅”があった。

こちらが高島平団地。64棟、1万170戸のマンモス団地だ。オープンは1972年 ©共同通信社

改札前にあったのは……

 高架が途中でぷつりと途切れているようなホームから階段でコンコースへ。ピカピカ出来たてのエスカレーターがあったが運用開始はまだのようだ。高架下に設けられたコンコースは降り立った客の数からすると不思議なくらいに広々としていて、ぶら下げられている「出口」などの案内板は開業当初からのものなのだろう、古めかしいというか昭和のような雰囲気をとどめていた。“令和”らしいのは真新しい電光掲示板と自動改札ぐらいなものだ。

高架ホームの西高島平駅
広々としたコンコース。よく見ると「駅長事務室」などの案内板はかなり古そうな雰囲気である

 そのまま改札口を抜けると、正面にはスリーマートという高架下の小さなスーパーがあった。